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2014年3月25日 1:57 AM

三横綱 ああ全員がモンゴル人

大相撲春場所は大関鶴竜が14勝1敗で優勝。横綱昇進を確実にしました。5

月場所は横綱が3人になります。これは平成13年初場所以来13年ぶりだそ

うで、その顔ぶれは曙、武蔵丸、貴乃花。日本人が1人いました。
今回は白鳳、日馬富士、鶴竜の全員がモンゴル人です。なんだかサビシイね。
一方で大関琴欧州が引退会見をしました。
「日本へきてお相撲さんになってホント良かった」
琴欧州は涙ながらに語っていました。
この様子を見てわたしは相撲が国技の座を失いつつある原因がわかったよう
な気がしました。
力士は幕内になるとタニマチができます。毎晩のように料理屋や酒場でご馳
走になり、行く先々でチヤホヤされます。横綱、大関になるよりも快適な幕
内生活を壱日でも長く続けたい気持を抱くのです。
「お相撲さんになってホント良かった」のは琴欧洲だけでなく全幕内力士に
共通の心情なのでしょう。
その点モンゴル出身の力士はタニマチ付き合いもさほど多くないし、国へ帰
ればすぐ大きな事業ができるほどの大金を現役時代に稼げるのだから、幕内
生活に溺れず横綱を目指すのでしょう。つまり横綱の座をモンゴル人に独占さ

れるような現状は、タニマチに大きな原因があるのです。
かくいうわたしも生涯2度だけタニマチをつとめたことがあります。
うちの近くの弁天さんの境内に、春場所のつど押尾川部屋が合宿していた時
期があり、私は何度か稽古を見物にゆきました。人気力士の益荒男(関脇)
に紹介されて一晩北新地へ招待したことがあります。益荒男は弟子を2人つれて

きて、豪快に飲んでいました。酒場では益荒男関だけがモテてわたしはさっぱり。

 でも人気力士を連れて歩くとよく目立ちます。京都の祇園で舞妓を連れて歩

くようなもんでいい気分でした。しかし翌日昨夜の飲み代を勘定してみると、途方も

ない金額だったのでガクゼン。タニマチなんて大金持ちでないとつとまらないと思い
知ったものです。
もう一度は50年近く前。秋田の遠い親戚の子が二所の関部屋にいると知って自
宅へ呼んだことがあります。当時わたしは安サラリーマンで、住まいは文化住
宅でした。親戚の子の四股名は阿部の川。あまり期待されてない名前でしたが、
本人は身長1メートル90センチ、体重は120キロの堂々たる体躯で、当時は
幕下中位だったと思います。
貧乏所帯だけど奮発してビール2ダース、牛肉2キロを買って接待しました。
「おれ、飲めねえほうだス、飲めねえほうだス」といいながら彼は豪快に飲み食い
し、ビールも肉もきれいにたいらげました。妻と二人、感嘆したものです。
翌日府立体育館へ応援にゆきました。まだ観客がまばらなうちに阿部の川の出
番が近づきました。花道へわたしは出かけてゆき、「おい、頑張れよ」と声をかけ

たのです。
阿部の川はうなずいてドシーンと四股をふみました。物凄い衝撃で、そばにい
るわたしの全身がはずみで跳びあがるほどでした。
阿部の川の取り口は相手を組み止め、ゆったりと動かず、相手の弱るのを待っ
て寄り切るという気の利かないものでした。それでも勝ったから接待の甲斐
があったというべきでしょう。
阿部の川は十両寸前までいったのですが、大怪我をして引退しました。幕内へ
あがるだけで大変なことです。あがってしまえばうれしくて「わがこと成れり」
の心境になるのでしょう。
ひところわたしは春場所ごとに2日ずつ升席を買っていました。1日はわたしの
接待日、1日は妻の接待日にしていたのです。編集者同伴のことが多かった。
ある年、ソプラノ歌手の子をつれていったことがあります。その子は神戸出身で
貴闘力のファンでした。貴闘力の出番になったとき、その子は、
「たーかーとうーりきィ」
とさけびました。さすがソプラノ。場内のすみずみまで声が通り、観客の注視を
あびて面映ゆかったものです。
わたしたちの子供のころはよく相撲を取りました。野球もサッカーもない時代で
相撲しかスポーツはなかったのです。わたしは強いほうで、クラスの五指には入
っていたけど、元くんという朝鮮人の子には全然歯が立ちませんでした。絶対有
利なもろ差しの体勢になっても駄目だったのです。
「あいつはホンマは1つ年上なんと違うか」
悔し紛れにわたしたちはいいかわしたものです。
三横綱がモンゴル人で良かった、彼らが韓国人だったらエライことだったとわた
しは思うのです。もし白鳳、日馬富士、鶴竜が韓国人だったら、
「いまの三横綱も双葉山も大鵬も韓国出身だった」
と向うのメディァは云いだすかもしれませんからね。いや、きっというでしょう。

反論したら「歴史認識を改めなさい」と女大統領がせまってきます。