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2012年8月21日 4:53 AM

「この野郎」で再生しよう

尖閣諸島と竹島には毎日ムカムカしています。
わたしたち昭和ヒトケタ生まれの者にとっては、子供のころ中国も朝鮮も軽蔑の対象でした。支那兵は弱くて退却専門だし、朝鮮人は極貧で、アイゴー、アイゴーとすぐに泣く。そんな認識だったのです。
むろん認識は変わりましたが、軽蔑の痕跡が心の底に残っているようです。だから尖閣と竹島について、一世代、二世代下の人たち以上に腹が立つのでしょう。
日本政府のことなかれ主義を非難しても始まらない。わが国の政治家、とくに現政権になにも期待できないことは十二分に思い知らされています。
ではわたしたちはどうすればよいのか。尖閣、竹島が奪われるのを黙って見ているしかないのか。中国、韓国のやり方は強引そのものです。向こうにはかつての侵略の報復という大義名分があるだけ、話し合いは期待できないでしょう。このままでは際限なく譲歩を余儀なくされ、数十年後には今度はわが国が大陸に併合されてしまうのではないか。そんなことをつい想像してしまいます。杞憂なら良いのだけれど。
尖閣諸島についてはご承知のように1895年に明治政府が領有をきめました。10年にわたって調査を行い、どこの国にも属さぬことを確かめて領有したのです。一時は鰹節の工場があり、200人以上の日本人が住んでいたのですが、太平洋戦争の一年前に採算が立たなくなって閉鎖しました。以後は無人島だったのです。
戦後アメリカの施政下に置かれましたが、サンフランシスコ講和条約によって日本領として返還されました。このとき中国は一言も抗議せず日本領だとだと認めていたのです。
ところが1970年ごろ国連の調査で尖閣付近に有望な油田のあるのが明らかになり、以後中国と台湾が領土権を主張しはじめました。当時石原現都知事が中国の横車を指摘し警鐘を鳴らしたのですが、政府は無反応でした。以来中国は国力を増し、軍事力に自信を持って喧嘩腰で尖閣諸島を奪いにきているのです。
日本政府はは1905年竹島を島根県に編入しました。以後,同島付近は良好な漁場として日本の漁師が操業していました。
戦後日本は連合国によって朝鮮半島、台湾、樺太などを放棄させられました。そのさい竹島を朝鮮半島に含めるよう韓国は要求したのですが、連合国は拒否しました。竹島は日本の一部だと認識されていたのです。
すると韓国の李承晩大統領は、サンフランシスコ条約締結の寸前日本海に李承晩ラインを強引に設定、竹島を韓国側に容れてしまったのです。おまけにすぐ軍隊を派遣して軍事占領してしまいました。日本がどん底にある時代につけこんだ横車です。李ラインを超えたと言う理由で日本の漁船が多数拿捕され、死者も出ました。日本政府は再三抗議し、国際司法裁判所への提訴を申し出たのですが、向こうは応じません。裁判に勝ち目がないと判断しているのでしょう。1965年日韓基本条約で李ラインは消滅したはずなのに、相変わらず軍事占領をつづけています。
ほかに北方領土の問題もあります。日本は弱体化につけこまれて各国に侵略されたりされかかったりしているのです。韓国人などは子供のころから独島(竹島)は韓国領だと叩きこまれ、国をあげて領有化につとめています。竹島の日本編入が韓国併合の第一歩だったと彼らはいいます。ここで恨みを晴らそうというわけです。
尖閣諸島に上陸する香港人が出たり、韓国の大統領が竹島を訪問したり、ムカつく仕打ちが連続します。落ち目の国民の屈辱にわたしたちは耐えています。世界史上無数の小国の味わった悲哀を日本もいま味わっているのです。
しかし中国民も韓国民も騒いでいる連中は見るからに単細胞です。理屈抜きの感情任せ。あんな奴らと同じ土俵で騒いでは同じレベルに落ちてしまいます。日本政府の事なかれ主義も、善意で見れば(大人の対応)といえなくもありません。
中国、韓国のやりかたには日本人のだれもが「この野郎、調子に乗るなよ」と思います。
かぎりなくムカつきます。だが、その自然な感情をもっと上質な向上意欲に変えられないものでしょうか。低劣な隣国と同レベルの低劣さに陥ることなく、反感や憎しみを私たち自身のために役立てるわけにはいかないでしょうか。
すべては日本の国力の低下に原因があります。軍事的にも外交的にも売られた喧嘩はいつでも買う備えを固めつつ、わたしたちはそれぞれ全力で仕事に打ち込み、持ち場を充実させるべきではないでしょうか。そうやって辛抱強く国力の回復をはかるのです。
「この野郎」という俗な感情を向上意欲に変えるべきです。みんながそうやれば、日本は遠からず第一級の国に回復するでしょう。
それにしても低劣な隣国を適当にあやしながら、回復への時間稼ぎのできるような老練な政治家は出てこないものでしょうか。救国の人材の登場にはいまが絶好の時期だと思うのだけど。