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2013年3月26日 1:52 AM

ああ老人の初体験

先日、京都の地下鉄東西線の車中で50歳ぐらいの女性から席をゆずられました。生まれて初めての経験です。ああおれも他人の目にはヨボヨボのジイ さんに見えるのか、と大いに落ち込みました。わびしき初体験だったのです。むかし若者が赤線などで行なった初体験とは大違いでした。
年齢は意識しているけど、「アベさんは若く見えますよ」などという酒場のおねえちゃんのお世辞を真にうけて、これまではそんなに老 けては見えないつもりだったのです。
おじいちゃんと呼ばれた初体験は数年前でした。万博公園のグラウンドでジョギングをしていると、キャッチボールをしていた子供たち の一人が暴投して、わたしの前にボールが転がってきました。ボールを追ってきた子供がグラブをかまえて
「おじいちゃん、ここ、ここ」
と返球を催促したのです。
おじいちゃんと呼ばれたのは初めてでした。まあ、子供から見れば年寄りに見えるのだろうと自分にいいきかせて、ショックを和らげた ものです。
今回の車中における初体験は病院帰りのできごとでした。最近歩くとふらふらするので耳鼻科を受診したが、原因不明。「脳からきたも のではない」とご託宣をうけて一安心したのですが、ふらつきが治らないので念のため伝手をたどって京大病院の脳神経科でMRI検査を うけたのです。その帰りのできごとでした。睡眠不足で消耗していたし、くたびれ果てた面持ちだったのかもしれません。(病院へゆくと 異常に疲れるのはみなさん身に覚えがあるでしょう)
ともかく東山三条で京阪電車から地下鉄に乗りかえ、満員ではないけど空席がないのでわたしは立っていました。京都駅までゆくには烏 丸御池でもう一度乗りかえなくてはなりません。
あと一駅で乗り換えというところで、前に腰かけていたいた女性が、
「どうぞ。私はつぎで降りますので」
と立ってくれたのです。
わたしはあわてて自分もつぎで降りると説明し、その女性に立つのをやめてもらいました。せっかくの好意を無にして悪いと思うよりも 、生まれて初めて席をゆずられたショックで茫然としていました。つぎの駅で両者とも電車を降り、できごとはそれで終わりました。

しか し、ゆずられ初体験のショックは一週間後の今日まで尾をひいています。
自惚れはだれにでもあります。それなしでは劣等感の塊になって人生が悲惨になるでしょう。だが過剰な自惚れは滑稽です。もうすぐ80 歳になる老人が若者をまねて茶髪にしたり、Tシャツ、ジーンズで粋がったりしてはアホといわれるでしょう。それほどではなくとも、わ たしもは同じ種類の錯覚をしていたのです。まだ他人に席をゆずられるほどヨボヨボしてはいない――そんな自己評価を逆転されて茫然とし たわけです。
しかし自分の姿を他人の目で見るのはなんとも難しい。つくづく思い知りました。考えてみると、小説家としてわたしはつねにそのギャップに悩んできたのです。自信をもって世に問うた作品がさほど評価されず、注文によって書いたH系の小説が案外売れたりします。読者 と同じ目線をもてないからそうなるのか、女性が理解できないせいなのだろうか。
適度の自惚れと読者の視線の調整。あと何年生きられるかわからないけど、わたしはそれを追究してゆくことになりそうです。

あらため て思うのは、自分の書きたいことを書きたいように書き、それで本も売れる小説家こそ本物の天才だということです。残念ながらわたしは 自惚れのやや強い、二流の書き手なのです。電車内の初体験によって小説家と読者目線のバランスについてあらためて考えさせられました 。
でも、本の売れ行きばかり気にするのも、なんだかさびしい文筆家業だとも思うのですが。世の中全体が「売れるが勝」になっているのは悔しいけど現実です。