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2015年3月3日 3:19 AM

おさわり文士

PHP研究所の隔月刊、「松下幸之助塾」という雑誌に「家電ブラザーズ」
という題で連載の評伝を書いています。あまりにも有名な松下幸之助と三洋
電機創設者の井植歳男の2人を主人公にした伝記小説です。
周知のとおりこの2人は義兄弟でした。井植の姉が松下の妻だったわけです。
幸之助が最初大阪猪飼野の長屋でソケットの製造工場を始めたときから井植
が小僧として雇われ、兄弟力を合わせて工場を育て上げてゆく物語です。
二人はやがて天下に冠たる松下電器を築き上げ、戦後は井植が独立して三洋
電機を設立するなど、大阪を代表する実業界の2巨人の生涯を描いてゆくつ
もりです。なにしろ私の現在抱えている連載小説はこれ1本きりですからね。
気合いを入れてやっています。
じつはこの伝記小説は何十年もむかし、井植歳男を主人公に某誌へ書き始めた
ものです。事情あって中断していたのを「松下幸之助塾」の編集部が拾い出し
て再生してくれた小説です。もっとも最初は井植ひとりの伝記のつもりが、編
集部の意向で松下絡みに作り変えたのです。
カンタンだと思って引き受けたけど、これがけっこう難しい。行数やら展開の
注文やら小説雑誌とは違う制約も多くて、今日風の小説を書く上でいろいろ勉
強になります。まあ両人の私生活について、人間だから不道徳な場面もあるは
ずだけど、雑誌の性格上そんなことは書けないし、その種のネタも全然入って
きません。無い知恵をしぼって経営者としての2人の活躍ぶりを描けば成功だと
自分にいいきかせています。
この2人に共通なのはどちらも小学校卒(専門学校で学んだことはありますが)で
あることです。一般の工員、店員から従業員数何万人もの経営者にノシあがった
から、紛れもなく2人とも英傑です。もしかすると小学校卒であることも、彼ら
は卓抜な経営者であるために役立てたのかもしれません。頭で理解した知恵は、
下積みの暮らしで得た知恵と質が違います。後者は血肉になり、闘争力、生命力
になります。わたしは歳をとって身体の節々が痛むようになってから、特にそう
感じているのです。
街の経営者らが何とか成功の秘訣を知ろうとして「幸之助本」を読み漁るわけも良
くわかります。でも、この2人はどちらも凡人には理解の外の巨人です。戦後2人が
袂を分って別々の道を歩み出した経緯もまだ定説がないようだから、わたしの解釈
をどうぞ参考にしていただきたい。
視力障碍者をけっして差別するわけではないけど、群盲像を評す、ということわざ
があります。目の見えない輩が手で象に触って、象という生き物について頓珍漢な
感想を述べるという意味です。松下,井植を調べてみてわたしは群盲の一人になった
気がするのです。おさわり文士というわけですね。とんでもない見当外れを書くかも
しれないけど、まあ楽しみにしていてください。
実を云うとわたしは若いころ一度松下幸之助氏に会ったことがあります。週刊文春に
「有名企業の現状」と云う企画があってわたしは松下電器とトヨタ自動車のルポを書
きました。そのさい幸之助氏にお会いしたのですが、インタービュウの途中、幸之助
氏に訊かれました。
「アベさんは最近までサラリーマンやったそうやな。どんな会社におったんや」
「はあ。タキロンという化学会社にいました」
とわたしが答えたところ、彼は、
「そうか。松下電器やなくてよかったなあ」
といったのです。なんでですか。訊いたところ彼は、
「もしもあんたがうちの社員やったら、朝から晩まで仕事させて小説の勉強なんかで
きんようにしたる」
といいました。
うわあ松下電器から小説家は出てこないな。私はそう思ってなんだかうれしくなった
ものです。凄い経営者の肉声をきいた思いでした。
そういえば松下電器出身の小説家なんてきいたことがありません。小説など書くより
も、品質が良くて安くてサービスも万全の電気製品を世に出すほうがずっと国の役に
立つとでもいうのでしょうか。ともかくわたしがナショナルの社員だったら、定年ま
で保たずにクビになっていたでしょう。