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2013年7月2日 12:10 AM

お酒飲むなのご意見なれど

五月初旬より医師のすすめで禁酒中。あっという間に2か月近くたちました。当初はとても長続きする自信はなかったけど、やってみるとさほど苦労でもありません。
毎晩食事どきに妻とワインを飲む習慣だったのが、現在はわたしがノンアルコールビール、妻はワインという分担制になりました。目の前で美味そうにワインを飲まれても、べつに羨ましくもないのです。ああそうかい、と許容する気分なのはやはり歳のせいでしょうか。
酒との最初の関わり合いはドブロクでした。小学6年の夏日本は戦争に敗れ、わたしの疎開していた秋田の農村には出征していた若者がつぎつぎに復員してきました。
どこの家でも復員祝いの宴会をやります。親戚知人ら2~30名を招待して飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをやるのです。わたしは子供ながら親戚や分家、別家などから呼ばれてメシをご馳走になり、宴会を見聞きしたものです。
みんな白いドブロクを飲んでいました。すすめられて一口飲んでみたけど美味いものではありませんでした。復員兵らは酔っぱらって、
いやじゃありませんか軍隊は 金(かね)の茶碗に金の箸
仏様でもあるまいし 一膳めしとは情けない
と2~3か月前なら憲兵隊に引っ張られただろう歌を高唱していました。
戦争が終ったからわたしは間もなく京都へ帰れるつもりでした。ところが父が京都の役所をやめて田舎へ帰ってきました。戦後の混乱に嫌気がさし田舎で村長などをして気楽に老後を送る算段だったのです。ところがひどいインフレで貯金は実質上ゼロになり、父は楽隠居できなくなりました。かといって農村に東大出の父にできる仕事もない。失意のあまり父は酒に溺れてアル中になったのです。毎晩酔っぱらって、
お酒飲むな お酒飲むなのご意見なれど ヨイヨイ
酒飲みは酒飲まずにいられるものですか ダガネ
あなたも酒飲みの身になってみやしゃんせ ヨイヨイ
などとアホな歌をうたっていたものです。

これが仮にも東大出の男かと息子としては情けなかったけど、わたしもジイさんになって父の気持がわかるようになりました。年寄りの小説家には注文がほとんどない。(例外もあるけど)締切に追われた当時を思い出すと孤独感にかられます。それでも原稿用紙を埋める作業ができるのは、父よりも恵まれているのでしょう。

父が反面教師だったせいもあってわたしは学生時代はほとんと飲めませんでした。飲める奴に無理して付き合うと、すぐに赤くなり頭痛がしたり吐いたりしました。一度文学部でも指折りの酒豪と元田中の飲み屋でドブロクを飲んだところ、小ジョッキ一杯で酒豪がひっくり返ったのには仰天しました。(わたしはビールだったので助かりました。)あとできいた噂では、その飲み屋のドブロクには酩酊促進剤と
して猫イラズが入っていたとのこと。すごい時代だったのですね。
飲めるようになったのはサラーリーマン時代、管理職のはしくれになって飲む機会が増えてからです。下戸では満足に付き合いもできないので、毎晩寝る前に水割りを飲むことにしました。1年たつと立派な酒飲みになったのです。
酔っぱらうということは、鈍感になることです。わたしは人付き合いがへたくそです。笑いをとる才がないし、相手に気を使ってリラックスできない。アホと思われたくない意識がつよいからなおさらです。酔っぱらうと体面なんかどうでもよくなってアホがいえます。ピアノにあわせてシャンソンなど上手なつもりで歌えるのです。
相手も酒飲みだと、酔っておたがいアホになれます。この許容感がたまらなく快い。よけいな配慮や抑制が消えて地のままの自分をさらけ出せます。まったく「酒飲みは酒飲まずにいられるものですかヨイヨイ」なのです。
でも馴れというのは恐ろしいもので、夕食時のノンアルコールビールはけっこう美味く感じるようになりました。禁酒もやってみるとさほど難しくない。その気になればつづけられると思います。でも、本気で宣言するつもりはありません。

妻の郷里に「九越しはむずかしい」というジンクスがあります。59歳、69歳、79歳、89歳など末尾が9の年は越えるのが難しいという意味です。その年には厄介な病気などで、もう一つ上の代にとどかず亡くなる人が多いらしい。
わたしは79歳です。9月には九越しを達成して80歳になります。その日はブルゴーニュの高級赤ワインで祝杯をあげる予定。
「あなたも酒飲みの身になって見やしゃんせヨイヨイ」はますます共感できる歌になるはずです。
歌って踊る亡父の姿にわたしは哀惜の念をおぼえます。遺伝子は怖いですね。