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2011年11月18日 2:48 PM

きみにもあげたいこの幸せ

 幸せにもいろんな種類があるけど、良質のコンサートのあとの幸せ感は格別です。だれかと語り合いたくなる。つい酒場へ寄り道してしまいます。おかげでツケと縁が切れない。
「いやあ、良かったよ今日のコンサート」
 と酒場で感動の押し売りをするのがまた楽しい。
 先方は客の機嫌をとるのか商売だから、この種の客は手がかからなくて楽です。客の講釈にニコニコと合槌をうっていれば良い。客はかならず歓迎されるのです。
  11月15日、延原武春指揮による「オーケストラ2011」のコンサートがいずみホールで行われました。曲目はマーラーの交響曲第 第一に延原氏が従来の 古典の領域を飛び出してマーラーを振ること。第4番はマーラーの10曲の交響曲のなかでもコケ脅しの要素のまったくない優美で情感あるれる曲です。盛り上 がる部分はあるが、それは次の甘美な部分をいっそう効果的にするために置かれていることがよくわかります。「亡き子ー」のほうは感情が抑制されてかえって 切なく胸にひびきます。
 延原氏は東日本大震災でなくなった多くの子供たちや若者への追悼の意味をこめてコノコンサートを計画しま した。氏には子供がいません。多くの若き、あるいは幼き演奏家たちをわが子のようにいつくしんで指導してきました。震災で失われた若き生命に自分の教え子 をかさね合わせて悲嘆にくれたのです。。追悼コンサートの企画はここから生まれました。
 余談ながらわたしも子供に恵まれませんで した。私の場合は孫のような若者にパソコンやITを教わって、延原氏とは逆に若者に教師としての敬意を抱いているところです。パソコン、ITだけでなく文 化や習俗の点でもいろいろ学ぶところが多い。だが、若い層に寄せる関心は延原氏と共通なので、このコンサートの趣旨には心を惹かれました。
よくある「被災地を元気にする」音楽会とはモノが違うのです。
  二番目の特質はオーケストラにあります。「2011」などというオケはこの世に一日しか存在しなかった。企画に賛同した演奏家約70名がこの一度のコン サートのために集まってリハーサルをし、本番にのぞみました。雇用関係によらない同志の集団なのです。くわしい知識はわたしにはないが、オーケストラとい うものはもともとこんな集団だったのだろうし、今後も似たような試みが多く行われるに違いないのです。同じ思いの70名の演奏から延原氏がどんな音楽を引 き出すのか、わたしは大いに期待していました。
 この企画は子供を亡くした母親たちのNPO「スノーエンジェル」の協力によって実 現したとのことです。くわしいことは知らないけど、利潤と能率の追求で固まった世の中にこんな心温まる団体が存在するのは、関西の文化にとって大きな救い です。なんだか幸せな気分になります。、
 さて演奏ですが、一般にマーラーの4番は優美で明るく端正な曲とされています。わたしはそれ以上の感動に浸りました。
  明るく端正であるよりも、なつかしみ、悲しみ、天国での幸せを祈る第4がいずみホールにあふれました。通常はしばしば耳をつんざくように刺激的な金管楽器 の音がまことに美しかったし、全体の振り幅が素晴らしく大きくて深い感動を呼ぶ演奏でした。素人が批評なんておこがましいが、いかに訴えるかよりもなにを 訴えるかが音楽の生命であることを教えられた気持ちでした。
 オーケストラの一人ひとりが心から弾きたいという意欲にかられて行う演奏がどんなに聴衆を揺さぶるものか、心から納得させられました。ヨーロッパの著名なオケによる演奏とはまた違う感動を初体験したわけです。
  音楽家は羨ましいなあとつくづく思いました。音楽家たちは天上を遊弋できる。われわれ文筆の徒はあくまで地上を這い回る以外にないのです。どんなに美しい 物語を書いたにしろ、所詮は地上の物語。魂の溶けるような、恍惚の時間とは無縁です。有吉佐和子さんの「恍惚の人」という小説があったけど、われわれの体 験できる「恍惚」はあの一手、ボケるしかないのでしょうか。