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2012年1月20日 2:59 PM

さすがイタリア、無責任男の本場

4200人を乗せたイタリアの豪華客船が沈没、船長が乗客を見捨ててさっさと上陸したというニュースを見て、さすが無責任男の本場だと感心しました。
 海図になかった岩礁に衝突したと船長は弁明しているようです。船にもどれと警備隊に叱責されても応じなかったというから、見上げた心臓というべきでしょう。いっぽうでイタリアの男らしいと納得する思いもあります。。
 わたしたち老人にはイタリアにたいするかすかな軽侮の念があります。太平洋戦争当時、日本はドイツ、イタリアと日独伊三国同盟を結んでいました。この三国はスクラムを組んで米英を打倒するのだとわたしたち軍国少年は信じていたのです。
 ところが開戦2年足らずでイタリアはさっさと米英と和平協定を結び、三国同盟から離脱しました。わたしたちは大いにアテがはずれ、イタリアはだらしのない無責任な国だと軽蔑したものです。
 戦後まだ一部の日本人しか欧米に旅行できなかった時分、ドイツへいった日本の商社マンなどはドイツ人から
 「今度はイタ公を入れずに戦争をやろうや」
 としばしばいわれたものらしい。
  当時日本は国をあげて自虐的反戦、平和主義の渦中にあにありました。ドイツ人の懲りないしたたかさにわたしたちは呆れ、日本人の善良さ、人の好さを思い知 らされたのです。同時にドイツ人のイタリア蔑視に共感しました。のちにオペラや映画や料理を通じてイタリアを見直しはしたが、無責任国の印象は消えずに 残ったのです。
 武士道を受け継いで日本人は責任感が旺盛です。最近は官僚機構や公的大企業の無責任ぶりが指摘されるが、責任の大 切さを知るからこそ、その所在を組織のなかに分散させて、個人が傷つかぬよう細工するすべを工夫したのでしょう。豪華客船の無責任船長のようにあっけらか んと「わしゃ知らんで」とトボけるのとは質が違うと思うのです。
 組織のなかにいると人は守られます。だが、個人の責任は逃れよう がありません。一家の柱の責任を負ってパパは仕事にはげみ、ママは子育てと家計の責任を負って奮闘するのがふつうす。ほとんどの日本人が個人の責任をはた しているから、無責任な指導者が多いにもかかわらず、日本の国は難破を免れているといってよいでしょう。
 いまはさほででもないが、以前は家族制度の名残りで長男の責任というのがありました。金持ちの長男は元首相や製紙会社の御曹司のように最初から大金持ちでいられるけど、貧乏な家の長男はそれだけで苦労が大きかったものです。。
  わたしは6人きょうだいの長男です。父親は官吏だったが、戦後の世の中に適応できず、晩年は生活力をなくして酒に溺れていました。 しっかり者の母が保険 のセールスや保育園の経営などで一家を支え、息子たちを進学させてくれました。いくら感謝してもしきれない母なのだが、そのわりに感謝の念は湧きませんで した。息子たちに敬意とと服従を要求し、自分の価値観を押し付けすぎたからです。
「見てごらん、お母さんはこんなに苦労しているのよ」「はやく一人前になってお母さんを幸せにしておくれ」
 母のすべての行動にそんな気持ちがあらわれていた。
「おまえは長男なんだから、しっかりして一家を支える義務があります」
「お母さんの期待を裏切らないでね。それだけが私の願いなのよ」
 何度いわれたか知れません。
 こっちは文学青年です。母の希望する世俗的成功とは人生の方向が違います。だが、長男の責任感は反発しつつも骨身に染み付いていました。毅然としてわが道をつらぬく根性はなく、なんとが金を稼げる文士になろうと努力する羽目になりました。
  人生残り少なくなると後悔の念にかられますが、、いまごろ嘆いても手遅れです。わたしは本来無責任な性分なのだが、立場上、過分な責任を負わされてあえい できました。わたしは子宝にめぐまれなかったが、ほとんど気にせず今日に至りました。これ以上重荷を負いたくない気があったようです。
 最近芥川賞をとった田中慎弥という人が石原慎太郎氏に噛み付いて話題になりました。受賞作はまだ読んでいませんが、田中氏は39歳になる今日まで一度も就職したことがないらしい。
  それと知って「エライ男だな」わたしは感嘆しました。親一人子一人の暮らしを母親に支えられていたらしい。わたしとは逆に社会的弱者に甘んじる勇気をもっ ていたのです。文芸の世界ではこうしたマイナスの勇者のほうが良い仕事ができるのかもしれないとつくづく思わされました。
 田中氏の母親は息子の大成を信じてひたすら働いてきたのだろうか。就職しろと息子に強要しなかったのか。そうだとすれば偉大な女性であり、田中氏は羨ましい息子です。イタリアの船長におとらぬ無責任を許容してもらったのだから。