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2013年9月3日 1:26 AM

さすらいジイサンの孤独

わたしの故郷はどこか、しばしばわからなくなります。最近そんなことが多くなりました。。
もう何度も書いたことですが、わたしは京都で生まれ育ち、小学6年で秋田へ疎開、地元の中学、高校を経て大学入学時に京都へ帰りました。以来ずっと関西暮らしです。
父母ともに先祖代々秋田人です。わたしもDNAは秋田人なのですが、全面的にそうだとはいいきれません。最近いただいた田口克美氏著「コラム力」を読んでその思いを強くしました。
田口氏は秋田県最大手の秋田魁新報の記者だった人です。長年コラムを担当してきた花形記者でした。この本はその集大成と云うべき一冊です。一部社説などもありますが、コラムだから日々話題が変る。原稿用紙1枚半のスペースで何かを語るのは大変なことです。
地方紙は読者がそのエリアの人にかぎられます。その人々にとって興味ある話題なのかどうか、テーマ選びが大変だと思います。しかもその地方の人々にとって社説やコラムの書き手は大エリート。上から目線でつい空虚な建前論を書いてしまいがちです。だが、「コラム力」は田口氏の人柄のせいかそんなページは目につきませんでした。
わたしはこの本で何人かの秋田出身の作家や映画関係者の名前を知りました。作家では小林多喜二、渡辺啓助、佐藤泰志、杉田瑞子、青江舜二郎、渡辺喜恵子など。映画界では佐々木康、呉徳洙、長沢雅彦ら。最近では女流の監督も何人がいるようです。
小林多喜二は大館生まれ。4歳で小樽へ越したようです。渡辺喜恵子は昭和34年の直木賞受賞者ですが、20歳年上で、わたしが文士修行を始めたころはすでに過去の人扱いでした。今日まで作品を読む機会がなかった作家です。
青江舜二郎は戦前、戦中に活躍した作家のようです。それが祟ったのか戦後はあまり目につきませんでした。わたしの父が愛読していたようです。結局現役の西木正明氏以外私の知るのは三人だけで、渡辺啓助、佐藤、杉田の3氏は力量がありながら日の目を見ずに終ったようです。わたしは7回落選し8回目にやっと受賞したけど、この人たちに比べるとラッキーだったのでしょう。
田口氏の著作を読んでから何気なく秋田県出身の作家をパソコンで調べてみました。わたしの名前がないのでアリャリャと思いました。京都出身の作家を見てみるとウイキペディアにはあったけど、ないwebもありました。考えてみて理由がわかりました。もう何十年も前朝日新聞が県別に出身作家を紹介したことがあり、出生地帰属の原則から私は京都に組み込まれるはずでした。そのさい私は頼んで秋田出身に組み入れてもらい、以後京都だったり秋田だったりするようになったのです。なんでそんなことをしたかというと、秋田の高校の同級生に{健在」を知らせたいというアホな理由からでした。でも、出身地というのはその人の人格形成に最も深く影響した土地にするべきだとわたしは思っています。その意味では小林多喜二は秋田と無関係だし、相撲好きの脚本家岩舘牧子さんもやはり4歳までの秋田人で、たしか岩手県の出身です。
秋田人についての伝記には伊多波英夫氏の「安成貞雄を祖先とす」があります。伊多波氏はわたしの大館鳳鳴校高の一年先輩で、じつはずいぶん前にこの本を送ってもらったのに、とりあげる機会がなくて失礼していました。
わたしはこの本のおかげで初めて安成貞雄を知りました。旧制大館中学の第一期生で早稲田を出て新聞雑誌の編集者をしながら小説や評論を発表し、大正文壇に気を吐いた人物のようです。大変に博学で、荒畑寒村、若山牧水、佐藤緑葉(佐藤紅禄の縁者?)、生田長江らと親交があったらしい。さなざまな新聞雑誌の栄枯盛衰、編集メンバーなどの調査がじつに詳しく、綿密で当時の文壇人の生態がよくわかる貴重な伝記です。安成貞雄本人の作品はまだ読んでいないので、なんともいえないが、生活ぶりはハチャメチャで典型的な文士のようです。
それはさておき、田口克美氏の本をもらったのと前後して京都北白川国民学校の同期会の案内をもらいました。わたしは小学2年の末に北白川へ転向し、6年で疎開したので正味3年しか同校に在籍しませんでした。いまも5,6人とは付き合いがあるけど、彼らの多くは戦後鴨沂高で同期生でした。わたしのことなどほとんどの者がおぼえていません。出席してもなんとなく孤独な気分です。さすらいのジイサンというべきでしょう。
むかし司馬遼太郎さんと京都は作家の出ないところだという話をしたことがあります。(和久峻三氏らがデビューする前)そのとき司馬さんはいっていました。
「小説なんて公家さんの書くもんやない。われわれ田舎者が力任せに書くもんや。京都人は鑑賞するほうに廻るやろな」
なるほど、とわたし納得したものです。
やっぱりわたしは秋田出身なのだろうか。今後は秋田の悪口をつつしむつもりです。