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2013年12月3日 1:03 AM

どうする?おれがよその子だったら

新生児取り違え事件の判決が出て、話のタネになっています。A氏は60年前、生まれた直後、産院のミスで母親とは違う赤の他人に手渡されました。そのまま他家の子として育てられ、最近真実がわかって産院を相手に訴訟を起こし、勝訴したというのです。
いきさつを週刊ポストで見て、わたしは感慨にひたりました。以前にも書いたことだが、わたしも生まれて数日後取り違えられて他家の子となるところだったのです。
取り違えられたA氏が育ったのは極貧の母子家庭でした。進学もならずA氏は中卒で働きに出て職を転々とし、現在はトラック運転手をしつつ病気の兄の面倒を見ているということです。余裕がなかったのかどうか、まだ独身のようです。
一方もう一人の取り違えの当事者B氏はA家とは対照的に裕福で教育熱心な家庭で育ちました。B氏は学校の成績が良くなかったけど、家庭教師に鞭撻されてそこそこの大学に入ったらしい。家業を継いで不動産会社の社長になり、現在は独立して別の会社の社長になっています。弟が3人いて、みんな一流企業の社員だそうです。
B氏は弟たちと仲がわるかった。性格も顔も体形も似ていなかったのです。弟たちは疑念を抱き、DNA鑑定をさせた結果、B氏と血縁関係のないことが判明しました。その後調査をかさね、実兄のA氏をさがしあてたとのことです。
A氏にすれば、失われた60年だったわけです。裕福なB家で育っていれば、まったく別の人生がひらけていたと思わざるを得ません。貧しい母子家庭で育ててくれた「母親」には感謝しながら、産院を相手どって損害賠償の裁判を起こしたのも当然です。産院側が3800万円を支払うべしとの判決になったけど、当人としては割り切れない思いでしょう。
さて私事になりますが、わたしも昭和8年に京大病院で生まれたとき、生れて数日後に取り違えられました。風呂につれてゆかれ、母のもとへもどったとき、別の赤ん坊だったのです。わたしの母は仰天して産科の部屋をさがしまわり、やっとわたしを見つけて先方の母親に交換を迫ったそうです。先方の母親は呑気なもので、
「なんかおかしい思うてました」
とすなおに交換に応じたそうです。
退院してこの話を近所の府立一中の先生にきかせたところ、そんなひどい話があるか、と先生は激怒して朝日新聞に投書したということです。
記事が出て数日後,産科部長と看護婦長がうちへ詫びにきたそうです。以来京大病院では新生児の足首に名札をつけることになったそうです。
当時はDNA鑑定などありません。母は一抹の不安を抱いて暮らし、私の顔が父親に似てきたのでほっとしたそうです。戦時中に血液型検査が普及し、父親がA、母親がB、わたしがBとノーマルな結果が出てやっと心から安堵したようです。
中学の時わたしはこの話を母からききました。顔は父に似ているし、血液型にも不都合がないので、わたしは自分がよその子だと考えたことはありません。しかし、気丈な母の押し付けに反撥するたびに、ほんまの親子なんかと疑ったことは何度もあります。よその子なら良かったのに、とバチ当たりな願望を抱いたこともあります。しかし心の底では親子関係を疑ったことは一度もないと断言できます。。
冗談話で「おれは大金持ちの御曹子だっけど、間違われて阿部家にきたんや」などといったことはあります。「そうだったら良いのになあ」と夢見ることもありました。しかし自分が本来はもっと貧しい家の子だった場合のことは想像しなかったからいい気なものです。
小説家としてはとても良いネタを生まれつき持っていたわけです。じつのところ、この件を小説にしたこともあります。タイトルは「もう一つの旅路」。当時多忙だったせいもあって、とくに世評の高い作品にもなりませんでした。
いま思うと残念至極。いくらでも発展させ得た題材です。これを膨らませられなかったのがわたしの限界なのでしょう。いまならはるかにオモロイ、問題性のある作品が書けたのに。

そういえばわたしと取り違えられる寸前だった人は、どんな人物だったかを知りたくて、週刊新潮の「掲示板」で呼びかけをしたことがあります。だが、残念ながら反響はありませんでした。
いや、まだ可能性は残っています。わたしはDNA鑑定をうけていません。いまからやってみて、とんでもない結果にブチ当たることもないとはいえないのです。
もしもよその家の子だったとしたら「失われた80年」ということになります。でも、いまさら人生をやり直せるはずもないので、さっぱり胸がときめきません。歳をとると、夢を見る余地もなくなるものですね。いやはや。
気になるのは今度の取り違え事件の当事者B氏の心境です。本来生活保護家庭の子だったのが、裕福な人生を送ったと知ってどんな気持ちになるものでしょう。
それがわかればオモロイ小説が書けるかもしれません。わたしも思い切ってDNA鑑定をうけてみようかしら。思いがけない結果が出たらB氏の心境が理解できるかもしれません。いや、わたしは高貴の血を引く生まれで、貧しい阿部家で鬱屈して暮らしたのだとは想像できるけど、その反対のケースは考えたくもないな。やっぱり。