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2014年4月2日 3:10 AM

なぜかドキドキ 開幕期

3月27日、プロ野球が開幕しました。セ、リーグの開幕カードは10年ぶりで
巨人阪神戦。そういえば巨人阪神の開幕戦なんて記憶にありません。なん
でも今年は巨人軍の創立80周年とかで、親会社の圧力が大変らしいです。
そのせいもあって開幕シリーズは2勝1敗で巨人の勝利。1つ星は落したけど
戦力的にはかなり差がありそうな内容でした。阪神ファンの人にはスミマセン
というしかないけど。
サラリーマン時代、わたしは毎年わくわくしてプロ野球の開幕を待ちました。
毎日毎日単調で窮屈な会社勤め。解放されるのは毎日夕食をとりながら白黒
テレビでプロ野球中継野球を見るくらいしかなかったのです。
開幕日は春爛漫の報せでした。良い気候、充実した暮らしが晩秋までずっと
続きそうな気がしたのです。なかでも鮮烈に記憶に残っているのはスワロ
ーズのエース金田正一と巨人の新人長嶋茂雄の対決でした。4打数4三振で
金田に凱歌があがったのですが、わたしは昂奮して、
「やっぱりプロの力量は大したもんじゃ」
などと同僚といいあったものです。
当時は読売テレビが巨人の全試合を放映していました。長嶋、広岡の三遊間
の妙技、王の一本足打法、高田、柴田の走塁などに酔いしれて、一日の疲れ
をわすれたものです。阪神の吉田、村山、小山らもそうですが、当時の選手
はみんな個性豊かに自分をアピールしていました。打球をとって一塁へ送球
する広岡はこの上なく優雅だったし、長嶋は圧倒的に躍動していました。吉
田が打球をさばく姿はまるで軽業だったし、村山の熱投はマウンドで燃え上
がる焔そのものでした。グラウンド上で彼らは自己主張していたのです。
それに比べると、最近の選手は技術的には最高のレベルにたっしていても、
観客によりアピールしようという欲、あるいは芝居気がないようです。い
まは映像の時代だから、マスコミにアイドル視されるので、それでよいと思
っているのかもしれません。田中将大のことをマー君などと呼んでほしくな
いのです。わたしの感覚ではプロ野球選手は男の中の男なのですから。
わたしは選手たちのプレーを見て、彼らは本物の男の人生を生きている、現
実のやりきれない生活とは次元の違う理想の生活を送っていると感じたもの
です。
スター選手として世の中でちやほやされる姿には無関係な、プレー中の姿に
男の理想を見ていたのです。プロ野球の開幕は、男たちの演じる真正の長く
て熱いドラマの開幕を意味していたわけです。
この開幕感をわたしは旧制中学2年のとき最初に味わいました。
戦争の終る昭和20年、わたしは京都から秋田県の農村に疎開しました。そ
こで1年間、村の子供たちのなかで孤立して、びくびくして暮しました。夏、
戦争が終わり、京都へ帰るつもりでしたが、父親が京都の勤めをやめて田舎
へ引っ込み、わたしは引き続き農村での暮らしを余儀なくされたのです。
戦争は終わったが,疎開っ子の現実は変わりません。今思っても不愉快になる
孤立した生活が続いたのです。
翌年、大館中学へすすみ、やっと農村から離れました。叔母の家へ下宿して
新しい仲間たちと野球をはじめました。
中学のグラウンドで打撃練習をしたとき、投手の球を強振すると、ポコンと
軟式の打球音がして、球は遠くライトの頭上に飛んでゆきました。
わたしは快感でしびれ、やっと戦争が終った。死ななくて済んだ。これからは
スポーツと読書が好きなようにできるぞ、と思ったのです。充実した学生生
活がはじまるぞ、としみじみ幸せを感じました。最初の開幕体験です。
小説家としてのデビューは野球の小説でした。週刊誌に野球エッセイを10年近
く連載したこともあります。野球にはずいぶん世話になりました。
還暦すぎまで草野球の監督兼選手としてどたばたやっていました。だが、80
歳ともなると、もう体が動きません。
それでも開幕となると胸がわくわくします。開幕心不全。一杯やればすぐ直る
んだけど。