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2012年6月8日 4:16 PM

びっくり仰天、世間はせまい

久しぶりで北新地へ出動。音楽バーでシャンソンを歌ってきました。途中思いがけない事実を知り、世間の狭いのに仰天しました。
尋ねた音楽バーは「びいでびいで」と「まつお」の2店。どちらもわたしの数十年来のいきつけの店です。同行の講談社の小林氏が美声の持ち主だったので、わたしも遠慮なく何曲も声を張りあげて、飲みざかりだった頃の陶酔を思い出したのです。
「びいでびいで」はクラシックの店。音大出の声楽家やピアニストなどの演奏家がホステスをかねて働いている店で、ステージの合間、客も独唱したり二重唱したりできる仕組みでした。わたしもモーツアルトやグノーのアリア、シューベルトのリートなどをベンキョウして吠えたものです。近年は声量おとろえたのでシャンソンに逃げています。
もう一つの「まつお」はママがピアノとサックスの名手で、ド演歌からクラシックまでどんな歌でも伴奏してくれます。ママは本来ジャズ系なので、クラシックをやるお客には東京芸大出の女性がちゃんと伴奏をつけてくれます。
この2店深夜まで遊んだわけですが、「まつお」で同席した西浦弁護士と雑談するうち、氏の娘さんがむかし、わたしのつとめていた会社の社長のご子息に嫁いでおられるだと知らされたのです。
わたしは32歳までタキロンという会社につとめていました。伊藤忠商事の系列会社でした。
わたしのいたころは経営不振で明日にも倒産しそうな状態でした。そこへ伊藤忠から松井弥之助氏が出向してきて社長のになりました。豪快でしかも繊細な神経をした大人物でした。
この松井社長は就任後たった一年でタキロンを再建させてしまいました。ホンマの経営者とはこんなもんか、とわたしは驚嘆し、のちに小説家となってから彼をモデルに「雷鳴のとき」という初の長編小説を書き下ろしたのです。彼はのちに総合商社安宅産業の会長となり、同社と伊藤忠の合併をなしとげて天下に名をとどろかせました。
34歳のときわたしは会社をやめて小説を書くと彼にいいに行きました。
「そうか。近いうちにそういうてくるやろ思うとったぞ]
松井社長はうなずきました。
[小説家になるなら司馬遼太郎のようになれるか」
つづいて彼は訊きました。
「いや、あそこまで行く自信はないけど、そこそこやれる自信はあります」
わたしはそういって退散しました。
話をもどすと、「まつお」でお互い顔見知りだった西浦弁護士のお嬢さんが松井弥之助氏のご子息の夫人であることを初めて知らされたのです。顔見知りだっただけで親しく話したことはこれまでなかったから、心底仰天しました。わたしは最近出版した「われらの再生の日」という小説のなかで使った拘置所の知識などを雑談混じりに西浦弁護士から教わったりしていたので、とくに驚きは大きかったのです。。
昨夜はとちらも泥酔状態だったのでそのまま別れたのですが、近いうち連絡をとって今はなき松井弥之助氏の晩年のことなどを訊いてみたいと思っています。
最近元ABCアナウンサーの上田氏のおかげでタキロン時代の同僚の一人が彼の友人だったこと、名古屋市の局長だったわたしの小学校時代の同級生が共通の友人だったことがわかりました。
まったくトシをとると世間がせまくなります。だれがだれとどこでどうつながっているか、わかったものではないのです。わるいことはできません。「アベというのはとんでもない奴だったぞ」とどこで噂されているかもしれないのです。いまさら取り返しのがつかないから、[俺はその程度の男なのだ」と開き直るしかないのが、人生の怖いところです。