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2013年6月4日 3:02 AM

ほっと安心、喪服の目立たぬ新幹線

中央公論OBの横山恵一氏が亡くなり、日曜日上京してお通夜に列席してきました。葬儀は翌日だったのですが、わたしは京大病院で間質性肺炎の診断をうける予定だったので、葬儀ではなく通夜に顔を出したのです。
喪服を着て道中するか、背広姿で喪服は持参するべきかを思案しました。結局喪服を着て明るい色のネクタイをしめ、会場で黒のタイに変えることにしました。
上りの新幹線では喪服の上衣をぬぎ、ワイシャツに柄物のネクタイ姿だったので、喪服は目立ちませんでした。夜、日帰りの「のぞみ」では喪服の上衣を着たのですが、車内に濃紺のスーツを着たサラリーマンが大勢いたので、喪服が目立たずに助かりました。
それにしても昨今のサラリーマン諸氏は濃紺のスーツが好きですね。わたしがサラリーマンだった時分は「服装で目立つなんてアホ」という風潮がありましたが、いまも同じなのだろうか。
通夜の話ですが、横山氏とは若いころからの付き合いでした。氏は太平洋戦争の研究家で最近半藤一利、秦郁彦両氏と共著の本を出したばかりでした。昨年秋に脳梗塞にやられたらしいですが、直接の死因は間質性肺炎だとのこと。わたしも同じ病気をもっていて月曜日に正式検査の予定なので、それときいてほんとにガクゼンとしました。横山氏は享年81歳。わたしより2つ上なだけです。おれもせいぜい81までの命かと考えて落ち込まざるを得なかったのです。。
わたしは中央公論で数冊本を出してもらったけど、力量不足であまり売れませんでした。その意味で横山氏には借りがあります。返す手段がなくなったのはくれぐれも残念です。
横山氏が大阪へ出張してくると、北新地で飲んで、黒岩重吾さんの主催でよくトランプ博打をやりました。横山氏はその道の猛者で、退職時に同僚たちから回収した貸金が百万円以上にのぼったという噂でした。わたしには良い兄貴分の編集者でした。
横山氏の夫人は旧姓安倍睦子さん。かつてラジオ大阪のアナウンサーで、私が30代のころ10年近くキャスターをつとめた「阿部牧郎とその一味」と云う番組のリポーターをしていました。ある晩横山氏と3人で飲んだとき横山氏が一目惚れして、以後再々アタックして、ついに結婚にこぎつけたという物語があります。2人の間の一人息子は東大を出て大蔵省に一番で入ったという大秀才です。
そんな過去を思いだしつつ故人の写真に向かい合うのは感無量でした。わたしもあと何年生きられるかわからないけど、いま仕掛中の長編はしっかり書き上げようと殊勝な気持になったのです。ガラでもないけどね。横山氏も読みたいと云ってくれていたことだし。
横山氏はたしか重役だったと思います。通夜の出席者約50人の大半が80代の各出版社のエライさんOBでした。顔見知りの人はたった3人。葬儀ならもっと多くの知り合いに会えただろうと思うと残念です。
焼香が終わると懇親の席が用意されていましたが、明日の検査を理由にわたしは早々に退散しました。「のぞみ」の車中で喪服の目立たなかったのは前述のとおりです。携帯用のCDプレイヤーで、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ全集(パールマン、アシュケナージ)とブラームスのピアノ4重奏曲集(アックス、スターン、ラレド、マ)を聴いて、親しい人の死によってもたらされた人生の重さとつらさをわすれました。ベートーヴェンのNO9ソナタ(クロイツェル)とブラームスの4重奏曲NO2はすごい名曲です。通夜の帰りなので一段と心にひびいたようです。
あくる日、つまり本日診断結果をききに京大病院へ。担当医はわたしの胸部レントゲン写真を数年前まで観察、吟味し、
「ほとんど進行していません。この分だと別段治療しなくとも、年に1,2回ずつ様子をみて対処すれば十分です」
といってくれました。やれやれです。
横山氏のことを話したところ、間質性肺炎は人さまざまで、急に悪化する人もいれば、ほとんど治療もなしで済ませる人もいるとの説明でした。横山氏は喘息の持病があったとわたしがいうと、それで悪化が急だったのだろうとのことです。
わたしは喪服をぬいだ心持になりました。喪服をきて目立たなかったよりも、ぬいで道中できるほうが良いにきまってます。明日からまた元気で読み書きできそうです。