mv

2012年3月2日 3:06 PM

みんなが書けるSF小説

みんなに書けるSF小説のアイディアが浮かびました。身の回りの品々がある日とつぜん生き物になり、歯をむき出し、剣をふるって襲いかかってくる物語で す。洗面道具、化粧品、食器、筆記具、衣類、靴、時計、パソコンなどあらゆる物品に顔が生じ、手足が生えて一斉に襲いかかってくるのです。主人公は悪戦苦 闘してて悶絶するしかありません。。
なぜこんな話を思いついたかというと、わたしは70代になってから指先の力が衰えて物を落とすことが多くなりました。
じっさい身の回りの品をよく落とします。顔を洗うときは洗面台のクリーム類や歯ブラシやスプレー類をよく床へ落とすし、食事すると食べこぼしが多くなりました。仕事中は鉛筆や消しゴム、ノート、本電子辞書などをしばしば床へ落とします。
紙くず箱に向かってなにかを投げ入れると狙いが外れるし、薬をのむときは錠剤を台紙から外しそこなってて床にころがします。
わたしは食事も仕事もデスクと椅子を使いますが、落とした物品を拾うのに洋式はじつに不便。
「なるほど、地球には万有引力があるからなあ」
と嘆きながら深く身をかがめて拾うしかありません。
トシのせいで正座もあぐらも辛いから、座り机にするわけにもいかない。思わぬところで自分の体が欧米化していることを思い知らされたわけです。わたしと同年輩の人は、多かれ少なかれ同じ思いではなかろうか。
身の回りの物品はわたしに絶対服従するものと今日まで信じてきました。ところがそうではなくなりました。わたしの意に反して物品はしばしば床に落ちます。便利さ、安価さを要求されつづけて恨みを抱いているらしいのです。そのうち忍耐の限度がきて、
「てめえ、いつまでもわしらが従順やと思うとるんか」
、と一斉に反旗をひるがえしそうに見えてくる。
主人公は大慌てで抵抗するが、独居の悲しさ、援軍もなくやがて物品に埋もれて息絶えます。抵抗の仕方とか主力となって襲ってくる物品の種類とか(車、パソ コン、携帯、ゴルフ道具ETC)はそれぞれの必要に応じて書けるから、年をとれば、だれにも書けるSF小説だというわけです。
じっさい、物品はよく落下するし、わたしの要求に従わないことが多い。なかでも下着類は不便の親玉です。
ヒートテックというのか、最近の下着類は暖かい布地でできています。ところが保温のためシャツは両手首に、股引は足首にゴム紐が入っています。おかげで着脱に不便なこと、この上なしです。
かつての股引はメリヤス(莫大小)製で、脱ぐときは踏んづけて脱ぐことができました。すばやい脱ぎ捨てが可能でした。だが、最近のはゴム紐入りなので足首 から抜き取るのに一苦労です、シャツも同様。むかしはスルリと脱げたのに、最近のは袖口のゴム紐が邪魔になって腕を一本一本抜きとらねばなりません。急ぎ のときなどいらいらします。靴下も足首をゴムで必要以上にきつく締めつけるものが多くなりました。あれでは血流が悪くなって保温には逆効果です。
つまり保温のためのゴム紐が着脱の不便を生んだわけです。なにかの利便が実現すれば、なにかの不便が生じます。まったく世の中いいことばかりはないですね。
さらに最近のファスナーはすぐに壊れます。しばしば布地に引っかかって閉口です。むかしはこんなことはなかった。中国などで製造し、コストダウンのため非 金属化、小形化したせいでしょう。かつてのチャックは堂々の金属製品で、変形して引っかかったりしませんでした。メーカー名はわすれたけど、一流企業の製 品でした。
でも、謙虚に考えてみると、こちらの要求以上に使いやすくなった日用品もあります。その代表格が剃刀。床屋の使うような本格的な剃刀 は怖くて使えず、若いころわたしはもっぱら安全剃刀でした。ほとんど毎日、刃を替えねばならず、バカにならない出費でした。安全といいながらよく頬っぺた に切り傷をつけたものです。
シェービングフォムなどなかったから、石けんを顔に塗って剃りました。刷毛を使うのがリッチに見えたものです。それ がいまやフュージョンなどの登場で切り傷の心配なく、しかも安全剃刀よりもはるかにキレイに簡単に剃れます。塗るのも泡からジェルになって、石けんなどお 呼びでなくなりました。
こうしてヒゲ剃りがらくになったころ、年とってヒゲが少なくなり、いまは3日に一度剃れば充分だから人生は皮肉です。年 をとると、物品の進化の恩恵を100%享受できなくなるわけです。物品は進化し、人間は老いてまた新しい進化を物品に求める。キリのないいたちごっこで す。
もう一つ、むかしなかったのが歯間ブラシ。わたしは上歯が入れ歯でポリデントの世話になっていますが、若いころ、歯間ブラシというものが存 在すれば、いまのように歯がわるくならなかったはずです。それを思うと残念至極です。物品の進化がこちらの必要に追いつかなかった一例。もっともこれは医 学の分野ではしょっちゅうあることで、一つの病気を克服すると、また新しい病気が生まれる。シンドイ話です。
身の回りを見ると、わたしたちの生活が物品の進化との追いかけっこだということがよくわかります。わたしたちは物品が従順だと思って生きているけど、体が衰えるにつれて物品は反抗的になります。
老人の必要に合わせるために物品は今後も進化するでしょう。だが、平均寿命がのびたところで、人間の老化と衰弱はとまらない。それがまた新しい要求を生ん で人間と物品のいたちごっこは永遠につづくわけです。便利さと経済性の際限のない追求が繰り返され、ついに人間はどうなるのでしょう。老衰してチューブだ らけの植物人間となって生きるのが、究極の人間なのだろうか。
パソコンをいじっていると、いまにもパソコンのディスプレーに目鼻がつき、本体に手足が生えてつかみかかってきそうな不安にかられます。この調子では、物品の反乱は現実のことになるかもしれない。いたちごっこはいいかげんにするほうが良いのではないでしょうか。