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2014年1月21日 2:46 PM

もういくつ寝ると認知症

数日前、犬をつれてゴルフ場前の道を歩いていたら、小柄な老人が近づいてきて

「阿部さんでんな 」と話しかけてきました。初対面の老人なのでいいかげんに相手

をしていると、

「わて、もうあきまへんわ。一人ぼっちだんねん」と、急に涙声になったのです。

妻が認知症になり、施設に入ったばかりだということでした。
話し相手になったのが運のつき、えんえんと話を聞かされる羽目になりました。
「おとなしい女やったのに、発病して人が変りました。怒鳴るわ、物を投げるわ、もう
滅茶苦茶ですねん。介護なんか受付けよらへん」
認知症にも暴力的な症例があるとはわたしもきいていました。

老人の妻は口答え一つしない女性だ ったのに、発症して性格が一変したようです。

包丁を持って暴れるなどあまりひどいので民生委員の 人が施設を見つけてくれた

らしい。施設は何十人何百人待ちがふつうだが、おかげで早く入所できた そうです。

老人には子供がおらず、夫婦二人きりだったのです。

「口答え一つせんと、じっと恨みを抱えておったんでしょうな。わて、博打やら女

やらでよう家内を泣かせましたさかい」

こんなとき男がだれでもするように老人は反省していました。

老人は詳しく修羅場を語ったのち、名刺を出して、
「書きはるのやったらいつでもお話しますわ。ぜひ書いとくなはれ」
といって帰ってゆきました。さびしくてだれかに話をきいてほしかったのでしょう。
名刺には工務店勤務、とありました。
おかげでわたしはサラリーマン時代の上司、山崎さんを思い出しました。どこへ

いっても水に合わず 失業していたわたしを一部上場の化学会社に拾ってくれた

恩人です。

山崎さんは京大の経済学部出身で、わたしが途中入社した時は営業本部の

次長でした。ものすごい勉強家で新技術をつぎつぎに導入、経営効率を急上昇

させた功労者でした。

わたしは彼に 可愛がられ、重用もされて30歳にして初めて安定したサラリーマン

生活を送ったのです。

わたしにとっては理想の上司だったけど、山崎さんには組織人として問題がありました。

自信があ るので同僚がアホに見えるのです。上司や同僚の欠点を遠慮なく指摘、ぐう

の音も出ないほどやりこめるので、敬遠される性分だったのです。有能であることは

万人に認められるけど、敵の多いことでも人後に落ちませんでした。

わたしが入社して3年後、重役との対立が頂点にきて、山崎さんは辞表を出して会社

を去りました 。経営コンサルタントとしてやってゆくつもりだったのです。

それから2年後、わたしはなんとか小説でメシが食えるようになって会社をやめまし

た。ここで勝負しなくては、人生に悔いが残ると思ったのです。

山崎さんの会社は経営がうまくいっていないようでした。それでもわたしたちはとき

どき会って、 酒を飲んだり社会を論じたりしていました。

そのうちわたしは多忙になり、しばらく山崎さんと会わずにいました。ある日久しぶりで

電話したら彼の会社はなくなっていました。山崎さんとは連絡がとれません。自宅へ電話

して彼が認知症にか かり、働けなくなったのを知ったのです。豊中の病院へ彼は入ったと

いうことでした。

山崎さんと一緒に会社をやっていたT君という友人に会って話をききました。ある日、街で

山崎さんと別れたあと、何気なく振り返って後姿を見てT君はガクゼンとしました。山崎さん

は左右の足先を大きく外側に向け、ひどいガニ股になってよちよちと歩いていたのです。
なにをしているのかなあ。不思議に思ったけど、遠慮して声をかけずに帰ったのが最後

だったそうです。しばらくして山崎さんは徘徊がひどくなり、自宅では介護の仕様もない

ので、豊中の精神科の病院へ入ったのです。

夫人と連絡をとってわたしは見舞いにゆきました。精神科の病院の内部を始めて見ま

した。講堂のような広間があり、大勢の人が歩いたり窓の外を眺めたりぼんやりと椅子に

かけたりしていました。私を見ても人々は無関心。表情一つ変えません。動いてはいる

が、それぞれの内面世界に閉じ こもっている印象です。

付き添いにきていた夫人に案内されて個室で山崎さんと会いました。見たところ山崎

さんは健常者 と変わりません。

「忙しそうやな。作家になって夢がかなったな。おめでとう」
「わしはこの通り元気やで。ヒマやさかいよう勉強ができる」
「禁酒させられてしんどかったけど、もう慣れたわ。甘いもんが好きになったで」
私の持参したケーキにかぶりついてあっという間に平らげてしまいました。やはり尋常

ではありません。
しばらく話しました。目の前に山崎さんがいるのに、わたしは彼と会った気がしな

いのです。彼が夫人に「今日はアベさんがくるから、こういわれたらこう答えなさ

いよ」と事前にコーチされたとおりに話しているのが明らかでした。

本人はだれと会っているのかさえわかっていないのです。

顔を突き合わせているのに、山崎さんは遠い世界の人でした。彼はいま鋼鉄

製の人形になってわたしを拒否しているようです。私は空しくなりました。

なにを話してもコミュニケーションが成立しない。郵便ポストを相手にしゃべって

いるようなものです。

今度来るときは山崎さんの好きなモーツアルトの弦楽4重奏曲のCDをもってき

ます。そう約束してわたしは彼とわかれました。
それきりわたしは彼と会っていません。約束のことが頭にあってときおり胸が痛

みましたが、あの郵便ポストと話すような虚しさを思うと、二度と尋ねる気になれ

ませんでした。何年かのちに山崎さんは亡くなりました。
70歳のときわたしは認知症だと診断されたことがあります。幸いセカンドオピ

ニオンで誤診とわかったのですが、わかるまでの2か月は今日ボケるのか明日

ボケるのかと気が気ではなかったのです。
ちょうど正月で近所の子が、もういくつ寝るとお正月、と歌っていました。わたし

は触発されて、

もういくつ寝ると認知症
とバカな歌を歌ったものです。でも、考えてみると、認知症患者は天下無敵

です。ボケてしまえば痴漢をやろうと泥棒をしようと罪には問われません。

ホントの幸福はボケたら来るのではないでしょうか。もっとも本人限定、家族

とことは考えに入れないでのことですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もういくつ寝ると認知症
と口ずさんだものです。いやあ切ない日々でした。
あれから10年たって、近年は医師に宣告されなくても認知症に近づいている気がします。もし本当
にボケたら、ある意味で万能です。痴漢、泥棒、なにをやっても罰されないのですから。案外ホント
の幸せはボケて以後なのかもしれません。