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2013年12月10日 12:16 AM

やれやれ あと1週間で妻帰る

11月25日に妻が入院、手術が11月29日、無事に終ってあと1週間で退院のようです。
都合3週間。その前に1週間の検査入院があったから丸1か月大阪市大病院にお世話になりました。わたしは約60年ぶりの独身生活。手術を受ける本人も大変だったろうけど、その何十分の一かぐらいはわたしもも大変でした。
手術の前日、担当医から説明があるので市大病院へ出向きました。わたしは五月に京大病院へ検査入院しましたが、古い病院だけに敷地 が広く、どの病棟もせいぜい4~5階建てした。ところが市大病院は17階建ての巨大ビル。なるほど大阪天王寺界隈は地価が高いからなあと妙なところで感心しました。なかの風景は両病院とも似たようなもの。心斎橋通りや道頓堀通りを思わせる賑わい振りです。
担当の豊田先生は明るい人で、説明は懇切、しかも自信にあふれていて一安心しました。説明が済んで帰りぎわ、
「どうか痛みから解放してやってください」
と〆の挨拶をしたところ、
「はい、わかりました」
と力づよい返事なので、さらに安心しました。
妻は家事で動くたびに腰が痛いといっていました。耐えきれずに手術を決心したのです。でも、帰宅してから手術同意書のコピーにあらためて目を通したところ、術中や術後にこんな事故が起こりうると細かい条項がぎっしり並んでいて、いくらか心配になりました。「万一の場合」というのがこんなにいろいろあるのかとおどろいたのです。もっとも医師の立場からすれば、90%以上は大丈夫だけれど、起こりう る不測のケースは素人には想像もつかないほど多様なので、その一部が書いてあるだけなのでしょう。
ともかく手術の当日病院へいってみました。5~6時間かかる予定だったけど、着いてみるともう終ったあとで術後治療室へ入っていました 。
もう麻酔は醒めていましたが、痛みはかなりあるようで、わたしは気を揉みました。さっき痛み止めを注入したばかりなので、いまは我慢してもらうより仕様がないということです。付き添っていても何の役にも立たないのですが、個室へもどってからアホみたいに茫然と時間をすごしました。妻の食欲は皆無。吐き気がするらしい。でも、以前股関節の手術をしたときより顔色がよいので、そんなに心配ではなかったのです。医師も手術は成功だと云っていました。
部屋は17階の最上階だから眺望佳絶、しかしなんだか孤独な気分でした。アベノハルカスとは方角違いで見えないのが残念です。
翌日から妻の妹が付き添いにきてくれて助かりました。妻は日ごとに元気になり、こちらも心配なく暮らせるようになりました。最近の 医学では手術の翌日からリハビリをやります。3日ほどたってリハビリ室を覗くと、歩行マシンで数百歩も歩く練習をするのでおどろきま した。傷口もガーゼの入れ替えなどはなし。透明なビニール状の布を貼って空気に触れないようにするだけです。
わたしは学生時代自炊の経験もあり、近くにコンビニもあるから一人暮らしは平気だと思っていました。ところが自炊は思いのほか困難です。なによりも調味料とか油類とかの置き場所がわからない。塩はどこだ、ダシはどこだと探すうちに時間が立ちます。料理本を見てなにかつくっても、1人分だと材料が余りがち。コンビニ弁当で済まそうとすれば、すぐに飽きて見るのもいやになります。システムキッチンだの皿洗い機だのの操作がわからない。掃除機をつかえば腰が痛くなります。やたらと時間がかかり、これに体操やウォーキングの時間 をとられると、妙に忙しい。仕事にならないのです。

12月8日、例年なら開戦記念日を思い出して酒を飲むのだが、今年は今日が8日であることをわすれていました。いまさら妻に感謝しても手遅れだけど、次元の低い家事労働を妻一人に押し付けてきたのを申し訳なく思い ます。世の男たちは、謙虚にわが身をかえりみる必要ががありそう。男たちは妻の確保してくれている基盤の上を右往左往しているにすぎないことがわかります。

スーパーで買い物をすると、昨日は300円だった魚の切り身が今日は500円だなどと些細なことが気になってきます。そうならざるを得ないのです。秘密保護法が成立したの、中国の防空圏設定だのいう天下国家のことはあまり気にならなくなる。気にする余裕がなくな るのです。

北新地の飲み屋の請求書を妻がどんな思いで眺めていたか、初めて認識しました。亭主にとってたまには妻の入院も良いものです。一番身近な人間のことをどんなに知らなかったかよくわかって、ちょっとしみじみします。