mv

2014年8月19日 2:28 AM

コロッと変わる日本人

8月15日は69回目の終戦記念日。わたしは小学6年生で、疎開先の秋田
の農村であの日を迎えました。河に泳ぎにいっていて天皇の放送は訊かず、家
へ帰って昼食を済ませたところへ叔母が駈け込んできて報告しました。
「さっき陛下の放送があったのよ。日本は降伏して朝鮮も台湾も樺太も失うん
だって。江戸時代と同じ小さな国になるんだって」
わたしは大きなショックを受けました。日本が負けるなんて想像もしなかった
のです。
ついで京都の役所に勤めていた父のことが心配になりました。大人はみんな奴
隷にされるのかと思いました。そう教わっていたからです。切腹する者が大勢
出るだろうとも思いました。捕虜になるくらいなら自害するのが日本男児だと
教えられたからです。
なんにも起らないので拍子抜けしました。でもその夜、灯火管制の必要がなく
なって(敵機の空襲にそなえてどの家も電灯に黒い布をかぶせて灯りが外へ漏
れないようにしていた)電灯からカバーを外したとたん、眩しいほどのあかり
が部屋中にひろかって、
「うわあ、電灯ってこんなに明るいものだったのか」
と、たった一つ希望を感じたものです。
終戦の日はそれだけでした。日本の針路が180度変った開国以来の衝撃の
日でしたが、以後1~2年の変化のほうがわたしたち「少国民」に及ぼした影
響が大きかったと思います。
日本人はコロッと変る人種だなあ、とわたしは強く印象づけられました。
夏休みが終わって登校すると、校長以下先生たちは、「諸君は将来アメリカに
復讐せねばならない」といっていました。ところか秋になると「日本は今後ア
メリカを手本にして民主主義の国になるのだ」と大転換をとげたのです。新聞
もラジオも鬼畜米英からデモクラシー王国への大転換。異を唱える者はありま
せん。翌年すすんだ旧制中学でも同じでした。天皇陛下のことを「天ちゃん」
と呼ぶ教師がいたり、戦争中は「皇国の楯となれ」と少年航空兵になる生徒を
激励した先生が「特別攻撃隊なんて気狂い沙汰」だといったりしました。戦時
中の言動に責任を取る者はなく(中にはいたかもしれないけど)、おれたちは騙
された、東条英機や板垣征四郎がわるい」A級戦犯に責任をおしつけてシレッと
しているのが一般でした。
今日ではわたしも寛容になり、「長いものに巻かれろ」「付和雷同」はいわば生
活の知恵だとか、日本の社会は元来がナアナア社会だなど弁護もできるのですが、
少年時代の見聞に人格が影響されたのは事実です。日本の社会は法にふれない範
囲でうまくやっても、お互い見ないふりをする社会なのですね。
最近これを痛感したのは朝日新聞の態度。これまで高級ぶった反動で袋叩きにな
っていますが、噓だらけの本を書いた吉田清治や植村隆なる元記者や河野洋平ら
国賊が今日まで糾弾されずにきたのも、もとはといえば朝日の社内的ナアナア体
質からでした。勇気を出して同社がコロッと非を認めたら、(あまりに遅かった
けど)それはそれで非難の嵐です。朝日の失敗は明らかですが、勇気をもって失
敗を認めたことは評価できると思います。まあこれも私自身のナアナア主義の現
れかもしれませんけどね。
ナアナア社会の良さは悪事が表沙汰にならないかぎり無事でいられること。反対に
悪い点は摘発者が正義面でくそみそにバレた人間をやっつけることです。理研の天
才笹井氏などはそれで追い詰められて、あたら能力を生かせずに終りました。
ナアナア社会だからといって甘えたり舐めたりしてはかならず報いがあります。
まあ家庭生活のようなもんでしょう。世の亭主族は油断すると女房に尻尾を握られ
て痛い目に会いますぜ。20140816143549