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2011年11月3日 2:49 PM

ダンス、ダンス、ダンス。踊れよ日本人

いやあ、びっくりした。ダンスが中学1,2年生の必須科目になったそうです。
 ダンスといっても社交ダンスやディスコダンスではなく、中高生が校庭などでやっているグループダンスのことのようです。わたしは万博公園へ散歩にいくと、飛んだり跳ねたりしている中高生の姿を良く見かけます。
 べつに違和感はない。子供のころニュース映画で見た海軍体操に似ているなあと思ったりします。でも男子生徒が女生徒たちと並んでワン、ツー、スリー、フォーとやっているのを見ると、世の中変わったなあとしみじみ思わされます。
 社交ダンスというものを初めて見たのは終戦の翌年、、中学一年のときでした。進駐軍の指導があったのかどうか、秋田県大館町{当時)の公民館でダンスパーテイがひらかれました。
 わたしは何人かの仲間と見物にゆきました。
軍隊帰りの若者と工場動員帰りの乙女たちが抱き合ってブルースだのワルツだのを踊っていました。ムードを出すためか広い場内は顔が見えるか見えないかの暗 さです。そこで何百人もの男女が抱き合って踊るさまは、淫靡ではなかったが、なんだかとてもいじましい印象でした。暗闇のなかでコソコソとやるべきことを 集団でやっている感じです。ステップを踏む靴の音がジャーッ、ジャーッと耳障りでした。若者は兵隊靴をはき、床は砂だらけだったのです。わたしたちはシラ けて退散しました。
 そのうちスクェアダンスというのが始まりました。いまでいうフォークダンスだと思います。男女が向かい合って お辞儀したり、手をとりあってスキップしたり、腕をからませあってぐるぐる回ったりするやつです。女はともかく男は見ているほうが恥ずかしくなる情けない 格好でした。「男は男らしく」の美学とは絶対に相容れない姿だったのです。。
 ある日わたしたちは町を歩いていて、町角でスクエア ダンスの人の輪に出会いました。なかに一人の同期生が混じっていたので、自分のことのように恥ずかしかった。学生服に高下駄に腰手拭いというのが当時の中 学生の風俗です。その風俗のまま踊っている同期生に私たちは義憤をおぼえました。ツラ汚しだと思ったのです。
 「バカ野郎。やめろ」「恥ずかしくねえのか。引っ込め」
 わたしたちはや野次りまくってその生徒を輪から追放しました。いくらか焼餅があったのかもしれません。そのスクエアダンスの輪には女学生が数人混じっていたのです。
 学生時代、ダンスレッスン場がアパートの近所にあって、同じアパートの工学部の学生たちがそこの常連でした。近くの藤川女学院の生徒がレッスンにくるのを標的にしていたようです。誘われてわたしも通いました。
ステップをおぼえたころ、わたしは小柄な女性と組んで踊り始めました。
 レッスン場はフロアに太い柱が何本かあって、それぞれ大きな鏡が貼ってあります。踊る姿勢をチェックするための鏡なのです。
 わたしは踊りながら鏡に目をやりました。そして声には出さず、ギャアと悲鳴をあげました。自分の姿があまりに醜悪だったからです。
  わたしは痩せ型で身長180センチ。当時としては巨漢で、電信棒さんとアパートの管理人のおばさんに呼ばれていました。そのわたしと小柄な女性がペアにな ると、文字通り大木にセミ。この上なくみっともない。おまけにわたしは日本男子の体型で胴長短足です。その体型がモロに強調されるのです。
  あわててわたしは目をそむけ、ダンスなどやめようと決心しました。工学部の学生たちは公平に見てわたしよりカッコ悪い奴も、なんの屈託もなく踊っていま す。卒業後の就職の心配のない奴らはおおらかなもんだとわたしは感心しました。文学部はなかなかなか良い就職口ががなかったのです。
 マンボだのチャチャチャだの、付き合い上おぼえたけど、へたくそのまま青春時代をすごしました。ディスコダンスが主流となって以後は完全に脱落。
 後年小説家になってから、五木寛之氏が
 「女のダンスは美しいが、男のダンスは醜悪である」
 と喝破したのを読んで大いに共感したものです。
 では年配の男はダンスがダメなのでしょうか。現代の若者のようにカッコ良く踊れないのか。いや、そんなことはない。
 秋田県の片田舎花輪町にディスコができたことがあります。帰省のおりその噂をきいて妻と一緒に見物に行きました。そしてほとほと感心しました。
 お客は町内のおばさんたちだけ。彼女らはガンガン鳴り響くロックに合わせて盆踊りの身振り手振りで踊っているのです。
 それがまたよく合っている。ロックと盆踊り。まことに新鮮な組み合わせでした。妻は肝を潰して
「すごいねえ。秋田の女性は」と繰り返していました。
 中学でダンスを教えるなら、日本は将来かならずダンス国家になります。欧米の踊りもよろしいが、盆踊りもおわすれなく。とくにロック盆踊りを。