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2012年10月23日 5:05 AM

ツキも実力のうち、巨人中日戦

22日の巨人中日CS最終戦。久しぶりで堪能させてもらいました.
中日3連勝ののち巨人2連勝プラスAD1勝。最終戦は4A-2で巨人が勝ち、セ、パ両リーグともシーズンの優勝チームが日本シリーズを戦うメデタイ結果になりました。
リーグ戦3位のチームが日本シリーズで勝ったりすると、どうも後味が良くありません。勝ったチームが名実ともに日本一なのか否か疑問です。なんのために汗水たらして長期リーグ戦に優勝したのかわからなくなります。
でも、当否はともかくCS戦はけっこう面白い。リーグ優勝したチームはこれまでの苦労を無にするまいと必死だし、2,3位チームは大逆転を夢見て血相を変えます。リーグ戦、CS戦、日本シリーズを勝ち抜くのは大変だけど、商売で野球をやっているのだから、お客をよろこばすのが第一の責務。制度を変える必要はないと思います。
だが、野球を面白くするため統一球を廃止し以前の飛ぶ球に変えろという
ナベツネ氏などの意見には絶対反対です。大リーグと同じ球を使うと日本選手のホームラン数が激減するのをわたしたちは知ってしまいました。以前のような飛ぶ球を使って派手な打撃戦が増えたとしても、
「統一球ならこうはならんはずだよなあ。インチキだよ」
とわたしたちはシラけるでしょう。
日本のプロ野球がまがいもののように見えるだけです。日本人は玩具のボールを使って野球らしきものをやってる、と大リーガーにバカにされるだけです。
日本選手はいっそう切磋琢磨して、統一球で大リーグと互角以上に戦えるようになってもらわねばならないのです。
わたしたちの少年時代、日米の野球の実力差は大人と子供以上でした。アメリカの3Aのチームに全日本初めプロの選抜チームなどが挑んでも7戦全敗したのです。
それが60年後の現在、日本人大リーガーが珍しくないところまで向上しました。いつか日本のプロ野球も大リーグと互角に戦えるようになる――わたしたち野球老年はそう願って止まないのです。
話を巨人中日戦にもどすと、いわゆる試合の「流れ」というものがよくわかりました。選手の運不運によって試合が大きく左右されたのです。
たとえば第五戦の高橋由伸。4打席のうち3打席が併殺打でした。いずれも走者をおいて痛烈な2ゴロを打った結果です。あと50センチ打球が右が左に外れていれば彼はヒーローになっていたでしょう。
対照的だったのが巨人の石井義人。代打専門で4割をマークしたこの男は、
同じ第五戦で9回裏2-21死満塁で代打に立ち、中日の抑え投手山井から左前にサヨナラ安打を放つ大殊勲をあげました。
先述の高橋由伸の併殺打と違ってふらふらと空中に舞いあがり、ポトンと左前に落ちた飛球でした。当たりは良くないが、サヨナラ打はサヨナラ打。この一打で石井はCSの最高殊勲選手になったのだから、ツキまくっていたわけです。運も実力のうち、とはよく云ったものです。
石井は去年西武で戦力外通告をうけ、トライアウトで巨人に拾われました。
一年前を思うと感無量でしょう。わたしはこの試合を観て、野球が技術に劣らず偶然性に左右されるスポーツだと痛感しました。だから年に130試合ものリーグ戦をやって偶然性の要素を薄くする必要があるのです。
長丁場のリーグ戦に加えて短期決戦のCSと日本シリーズが行われる。技術とパワー比べに合わせてツキ比べが行われるわけです。例年キャンプ開始の日に各球団が必勝祈願をやる意味がよくわかりますね。
CS巨人中日五回戦の終盤、走者をおいて中日荒木のライナーがショート坂本に好捕された場面がありました。ツキが変わったなと私は思ったのですが、その通りの逆転劇になりました。
前半巨人が3連敗したときも巨人の打者の良い当たりが野手の正面をつく場面がしばしばありました。反対に最終戦でもは9回表、4-2で堂上弟が左中間二塁打し、1死後、堂上兄が良い当たりのライナーを打ってセカンド寺内に好捕された場面がありました。次打者大島の左翼線安打で走者が生還しただけ、堂上兄の打球が抜けていれば試合はどうなったかわかりません。ほんとに野球は運不運の要素が大きいのです。
わたしは原監督のやり口が嫌いで今年一年巨人を応援しないつもりでしたが
CS6回戦ともなると、やはり巨人贔屓がやめられません。
人生についても運不運は云えるようです。小学六年で秋田へ疎開していなかったら、とか、大学入試に落ちていたら、とか、もっとマシな会社へ入っていたら、とかいろいろ詮索したくなります。だが、来し方の場面場面を思いうかべて、一体自分は幸運だったのか不運だったのか決めるのは困難です。野球と違って人生の各場面の運不運は見方によって劇的に変わるからです。
例えばわたしは小学六年で秋田へ疎開しました。当時は大いに不幸だったけど、考えてみると、あの経験のおかげでわたしは疎外された者の心情を知り、その疎外感をエネルギーにして今日まで物書き業をつづけてこられたのです。
当時は不幸だったが、その後を思えば幸運だったと云えるのです。
年老いて活字離れの時代に直面したのが不運なのか幸運なのか、どちらとも決めかねています。わたしは現在不遇だけど、おかげでいろいろ勉強する時間ができ、会心作を書けるかもしれません。
スポーツは黒か白かはっきり結果が出ます。人生は気の持ちようで不運にも
幸運にもなります。わたしの人生を総括して幸運だったか不運だったか即断はできないけど、長生きできたことでは間違いなく幸運だったのでしょう。