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2012年4月28日 3:07 PM

デフレ時代、おばさんホステスが急増中

 最近、むかし知っていたホステスからしばしば電話か入ります。
 [一度結婚してホステスをやめましたけど、離婚して北新地にもどりました。一度食事につれていってください」
 要するに勧誘の電話です。ぜひ同伴してくれというわけです。なかには小さな店を始めた女性もいるが、大抵は雇われホステスです。
 長引くデフレで北新地は目下大不況。若いおねえちゃんよりも、なじみ客をもっているベテランホステスが重宝されるようです。だから離婚したホステスがぞくぞく現役復帰しているらしい。
 だが、かつて鼻の下を伸ばしていたお客もいまは同じくデフレで落ち込んでいます。そう簡単に飲みにいけるわけがない。おかげで売れなくなった小説家のわたしにまで勧誘の電話が入るというわけです。
  まったくこの不況にはうんざりです。日銀は無策だとの批判をうけて1%のインフレ目標を設定し、最近では5兆円の追加金融緩和を決めました。アメリカの金 融当局が2009年以来大幅な金融緩和に踏切り、(例年の3倍ものドル札を発行)株価が回復、個人消費や設備投資も上向いたとされるのに、日銀は悪性イン フレを恐れてなにもやってきませんでした。
「膨大な通貨供給は制御不能のインフレをまねく。歴史が証明している]
「国民は将来の財政危機への不安から財布の紐を締め、低成長とデフレを生んでいる」
 というのが日銀の主張です。
  国民が財政危機の不安から消費を慎んでいるというのは明らかにヘンです。金がないから買い物や無駄遣いができないというのが現状でしょう。民情はもっと切 実なのですよ。せっかく水商売から足を洗ったホステスたちが離婚と新地復帰を余儀なくされるのも、多かれ少なかれデフレの影響があるはずです。
 白川方明日銀総裁は昭和21年生まれ。団塊世代です。日銀の理事諸氏も似たような年代でしょう。戦後の悪性インフレを当人たちは知らないけど、両親から苦労話をきかされていたはずです。たぶんインフレ恐怖症がしみついているのではないのだろうか。
 戦後のインフレはそりゃひどいものでした。とりわけわたしの一家はエライ目にあったクチです。
 わたしのの父は京都府の役人で戦時中は土木部の管理課長でした。当時の役人は恵まれていて、立派な官舎に住み、戦争が激しくなるまで通勤も車で送り迎えがありました。
  戦争が終わって父は役所を辞め、秋田県の生家にもどりました。貯金が当時の金で7,80万円あったようです。生家は地主でしたが、先代が出鱈目な男で破産 し、長男であるわたしの父に再建の責任がかかっていました。父は家を立て直し、悠々と村長でもやって暮す気でいたようです。。
 と ころが戦後の悪性インフレで7,80万の貯金なんか2~3万円の価値もなくなりました。おまけにインフレ抑制政策で預金の引き出し額が月に500円以内に 制限され、わが家はたちまち貧乏になりました。戦前にかけていた父の3万円の生命保険は紙くず同然となり、おかげでわたしは保険を信用しなくなりました。
  収入は上がらないのに物価の上昇は凄まじい。記録によると昭和21年に10キロ36円だったコメが22年には150円、25年には450円になっていま す。当時食料の基盤だったコメが4年間で12倍以上なったのですからサラリーマンは絶望的です。都市の人々は農村へ買い出しにゆき、金が無いから着物や宝 石などをコメに変えました。農家は威張り、サラリーマン家庭は屈辱にふるえたものです。
 食料以外の品も値上がりがすさまじく、給 料は上らないからサラリーマンは大いに苦労しました。戦争で生産設備が破壊されたから当然です。家賃は6畳4畳半3畳の一戸建てで(東京板橋)昭和21年 に50円、23年に150円になっています。わたしは10年後の昭和32年に大学を出て会社に入りましたが、初任給が18000円、初めて仕立てた背広の 代金がやはり18000円でした。
 こんな記憶があるから日銀首脳が悪政インフレを恐れるのも当然です。一次大戦後のドイツではパン一斤を買うのに札束が必要だというものすごいインフレに見舞われました。[歴史が証明している」と日銀がいうのはこのことでしょう。
  日銀首脳といえば秀才中の秀才。理論はしっかりしていても、意識の底に過度の恐怖心があるのかもしれません。生命保険というものをわたしがいまだに信用し きれずにいるように、戦後のインフレ体験の呪縛に政府も日銀首脳も知らず知らず囚われているように見えます。責任を問われたくない官僚気質のせいもあるの でしょう。
 でも、いうまでもなく戦後と現在は社会の事情が一変しています。戦後は徹底したモノ不足だったのに、いまはモノが供給 過剰。ともかく金がないのです。もっと大胆に円の供給を増やしても良いのではないかと素人なりに思うのですが、間違いなのだろうか。財政政策や金融政策と いうといかにも複雑高級な理論の所産のように見えるけど、上記のように日銀の慎重さの根は案外つまらんところにあるのではなかろうか。「熱物に懲りてナマ スを吹く」の典型に見えます。もっと積極策をとっても良いはず。さらにいえば失敗した時の責任をとるのが怖いだけのことではないのか。
  ともかく白川総裁の日銀は5兆円の追加金融緩和に踏み切りました。あとは政府にしっかりやってもらいたい。景気がもどればまた北新地の様子も変わるだろう し、わたしたち文筆業者にもいくらか恩恵があるかもしれませんからね。今になって思えばバブル時代はよかった。新入社員を確保するため応募者にハワイ旅行 をさせる会社もあったのですから。アホな時代でもありましたけど。