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2014年7月22日 12:44 AM

ハハ呑気だね

この2年間「新太平記」を書いてきました。もうすぐ湊川の合戦のくだりです。
楠正成、正季兄弟が戦さに敗れ、差し違えて果てるクライマックスです。
ところがわたしの先入観と違ってあの時代、楠木正成の存在が光ったのはほんの
一時期でした。興味をそそるのは後醍醐天皇の建武政権が内紛により崩壊してゆく
過程で、「楠木伝説」が日本政府によってつくられた「忠臣祭り上げ政策」の成果
であることがよくわかりました。なにせ調べれば調べるほど諸説がまかり出て閉口
します。完成までまだ数か月を要するでしょう。
書いていてつくづく魂消るのは、首切り、割腹、差し違えなどなんとも血生臭い情
景が多いことです。やさしい農耕民族のはずの日本人は案外残虐な国民ではないか
と思えてくるほどです。
斬り取った首は敵を殺した証拠です。これで恩賞がきまるから、武士たちは必死で
格闘し首を取り合いました。逆賊の首は実検のあと六条河原にさらされ、多くの市
民が見物します。今日では考えられない光景です。
いま中学などで問題視されている苛めの代表的言辞が「死ね」だそうですが、発言
者の多くは肉親などの死を知らない年齢です。実感がない。だから「死ね」なんて
気軽にいえるのだし、それもスマホで伝達するのが多いようです。
わたしたちの子供時代なら憎悪でわけがわからなくなると「ぶっ殺してやる」といっ
たはずですが、今の子供はそうはいいません。自分では手を出さずに相手の死を願う
のです。無責任というか闘争は避けて、きれいごとで生きています。まあ文明化され
ているわけです。
文明度が向上することは、一面では自身の残酷さに直面しないまま人を惨殺できるよ
うになることです。刀槍で敵を殺めるよりも、銃で射殺するほうが距離がとれて死骸を
見ずにすむし、大砲さらに爆弾となると人殺しの実感をまったく味わずに済みます。
その極致がいうまでもなく核兵器。天空から一発落して何十万もの人を殺し、当人は
涼しい気分で帰還。シャワーを浴びてワインを一杯やって夕食。そんな図さえ考えら
れます。
文明は大量殺りくを可能にしながら、殺される側は鎌倉時代とほぼ同じ無力な状態に
おいておきます。殺すのは一度に何十万人、殺される側はほったらかし。文明とはな
んとも不公平な代物です。人間は鎌倉時代よりもはるかに残虐になりながら、自分は
洗練された善良紳士の気でいるのです。
アメリカの対日政策はまことに巧妙でした。広島、長崎などで大量殺戮をやりながら
民主主義、平和憲法などで模範国におさまってしまったのです。「年次改革要望書」
などで分かる通り、日本人のプライドを損なわぬ程度の大枠から日本を支配してきま
した。最近の集団自衛権騒ぎもその一つ。
世界の警察をつづけるのはシンドイから日本も応分の助っ人になれと政府に強要した
にきまっています。論議になっているのは結局、戦争の可能性ある平和か、近隣諸国
の支配下に入る奴隷の平和かということでしょう。
近隣諸国は鎌倉時代なみの残虐性,好戦性をあらわに迫ってきています。しかも彼らに
は現代の残虐性の頂点、核兵器を所有しています。彼らを相手に外交交渉をやるにして
も、外交の後ろ盾になるのは武力。軍隊です。それなしでは奴隷になるしかありません。
反対論者を見ていると、昔の「呑気な父さん」の歌を思い出します。
歌詞はわすれたけど、最後は ハハ呑気だね というのでした。