mv

2011年5月13日 2:06 PM

パソコン修行

この春からパソコンで原稿を書くようになりました。
それまで原稿は鉛筆で書いていました。若いころ野坂昭如さんが鉛筆で原稿を書いているのを見て「カッコいいなあ」と思ったのがきっかけです。三菱ユニの2B。40年以上ずっとそれでやってきました。
十数年前からワープロが普及してきました。新聞記者の人たちは一時期切り替えに苦労したらしい。やがてわれわれの業界でも若い作家は大抵パソコンを使う時 代になりました。さらに、いまどき万年筆や鉛筆書きの作家は還暦以上の者だけといわれるようになり、2~3年前には文芸雑誌の編集部に手書きの原稿が入る と「ほら、よく見ておけ。これがナマ原稿ってものなんだ」と新人教育に供されるという話をききました。鉛筆書きの作家はシーラカンス扱いとなったわけで す。
それでもわたしは鉛筆書きをつづけました。いちおうパソコンを買ってメールを打ったりウィキペデアを利用したりしましたが、小説やエッセイ は鉛筆で書きつづけました。鉛筆のさきがほんのわずか原稿用紙に食い込んでいる感触が好きだったし、鉛筆を通じて当方の気合が紙に注入されるような気がし たからです。パソコンになんか習熟するひまがあったら本の一冊でも読むほうがマシという思いもあったし、操作を練習するのがのが面倒でもあった。だが、一 番の原因は時代の流れに唯々諾々と身をまかせることへの抵抗感でした。流れに逆らうわけではなくて、乗らずにただ突っ立って居る状態。川の中に立つ杭のよ うな姿勢を保つこと。そこに自分自身の一種の確かめがあったのです。アニメやゲームの普及に並行する活字文化の衰退への失望もそれに絡んでいました。わた しの友人には何人か携帯電話をもたない『変人』がいますが、同じように現代の風潮へ適応できず「流されない自分」を保つことで生き甲斐をおぼえているよう です。
だが、そうもいっていられなくなった。電子書籍の時代がこようとしています。こんな時期に鉛筆書きにこだわっていては、シーラカン化に拍車がかかるばかりでしょう。
以前からわたしは戦後日本を統治したマッカーサーの占領政策が、わたしたちの感性や思想にいまも大きな影響をおよぼしていると感じてきました。が、それに 劣らず最近はIT文化の影響を肌で感じています。『流されない自分」にこだわって見て見ぬふりをするよりはIT文化のなかへ足を踏み入れて、その影響がど んなものか見極めたい欲求にかられています。
とりあえずパソコン修行をすることにきめました。市販のマニュアルはわれわれ活字文化になじんだ老人にはきわめてわかりにくいので、独学は無理。家庭教師が必要です。ある人をつうじてこの春大学を出たばかりのA君を紹介され、週に一度家へきてもらうことにしました。
さっそくA君の指導でパソコンで原稿書きを始めました。マニュアルには書いていないさまざまなキーの用法とかトラブル対処法を教えてもらってなんとか20字×20字の400字詰め縦書き原稿をこなせるようになりました。
だが、困っている問題もある。平仮名から漢字への変換です。たとえば「かのじょをだきしめてきすする」と入力し変換キーを押すと、
『彼 女を抱き締めてキスする」となります。この場合わたしの文章としては「締める」は困る。どぎついので平仮名で「抱きしめる」としたいわけです。いちいち 「締める」を消して平仮名に書き換えねばならない。D君はシフトキーと矢印キーを使って平仮名に直す方法を教えてくれましたが、かえって手間がかかる。要 するに「かのじょをだき」で一度切って変換し、「しめてキスする」と付加するしかないというわけです。同様に「申しあげる」は「申し」-変換ー「あげる」 の手順を、「囲いこむ」は「囲い込む」となるのを避けるため「かこい」ー変換ー「こむ」と手順を踏む必要があります。多少とも個性のある文章を書くにはパ ソコンは意外に不便な器械なのです。
方言を書こうとすれば絶望的です。「ざんねんやなあ」は「残念や菜亜」と変換されるし、「むりやとおもう わ」は「無理屋と思う和」と変換される。よくもまあ現代の作家はこんな七面倒な作業に習熟できるものだと感嘆しきりです。D君によればパソコンがそのうち わたしの癖を飲み込んでうまく変換してくれるとのことですが。
パソコン修行の次の段階でブログを開設しました。阿部牧郎という作家がまだなんと か生き残っていることを世間に知ってもらうための営みです。じっさい修行を始めてから現代社会や若年層への理解が深まった実感があります。わたしとD君の 交流を踏まえて「老人パソコン修行」のテキストをかねた小説も書けそうです。
高齢者にはぜひパソコン修行をおすすめします。。世界がひろがります。友人知人も増えます。わたしの「問わず語り」のアクセスはまだ微々たるものだけど、ボケ防止をかねてつづけるつもり。同世代のかたがた、一緒にやりましょう。