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2011年10月7日 2:43 PM

ピアノ売ってチョーダイ

財津一郎のこのCMを最初にたときはさまざまな感慨にかられました。もう40年もむかし、駆け出しの作家だったわたしは野坂昭如さんや華房良輔 氏とミナミの飲み屋で飲んでいて、偶然財津一郎氏と合流したことがあります。一緒に軍歌を歌いまくって、財津氏の美声に驚嘆したものです。本人はおぼえて もいないだろうが、そんな記憶も手伝って「ピアノ売ってチョーダイ」には格別の関心がありました。
 わたしが高2、高3をすごした 秋田県花輪町には、学校以外にはほとんどピアノがなかった。大きな旅館に一台、音楽の先生の家に一台あったきりです。わたしは中3のときクラシック音楽に 目覚めてベートーヴェンやシューベルトを愛聴していました。旧制弘前高校の生徒だった友人の兄がSPレコードを何十枚ももっていて、遊びにいくうち入門し たのです。感受性の強い時期だったのでたちまち「運命」や「英雄」や「未完成」にハマり、「冬の旅」を高唱しました。ついには友人2人と町のレコード店で ショパンのワルツ集を万引きしたのがバレで大館鵬鳴高を退学になり、花輪高へ転校したのです。
 レコードさえ買えないのにピアノな んて夢のまた夢でした。ピアノはわたしにとって教養と豊かさの象徴でした。学生時代京都の小倉町の屋敷町を歩いていてピアノの音がきこると、演奏する深窓 の令嬢の姿が目にうかんで、なにやら胸が熱くなったものです。一時期暮らした下賀茂の下宿は、筋向いの家に2~3歳上の女性がいて毎日ベートーヴェンの第 20番のソナタを弾いていました。さほどの邸宅でも、さほどの美女でもなかったのですが、中流家庭にピアノがあり、娘さんがベートーヴェンを弾くあたりに 京都の文化都市たる証拠を見て、、やはり胸が熱かったのです。
 学生時代はあまり教室に顔を出さず、音楽喫茶に入り浸っていまし た。出町の柳月堂、百万遍の「らんぶる」などは曲のリクェストができ、コーヒー一杯(当時としては高い100円)で何時間でも粘れる店でした。そこで研鑽 をつみ、ロマン派や現代音楽まで手をひろげていっぱしの鑑賞家気分になったものです。コンサートにも行きました。当時は著名な演奏家のリサイタルには大勢 の学生服姿の若者が来ていました。みんなクラシック音楽によって教養の階段を一段一段のぼる気でいたのです。貧乏でピアノはもちろんヴァイオリンもフルー トも買えない者が圧倒的に多かった。今日のロックだのJ-PoPだののイヴェントのバカ騒ぎを見ると、日本の将来が心配になります。
  就職すると音楽会よりもトリスバーへ通うようになりました。コンサートはせいぜい月に1~2回。飲んでシューベルトやブラームスを歌うわけにはいかないの で、演歌以外のポピュラーソングをいろいろおぼえました。松田聖子のデビューしたときはずいぶん新鮮な共感をおぼえたものです。
  小説家になって3~4年後やっとピアノを月賦で買いました。だが、わたしは耳だけ達者で自分で弾く気はなく、練習は妻にまかせました。ところが狭い家でバ イエルなどを弾かれるとうるさくて仕事にならない。。当時わたしはラジオ大阪で毎日午後2時から2時間キャスターを務めていたので、その時間に練習しろ、 と妻に文句をいいました。すると妻はブンむくれてそれきりピアノに手を触れなくなりました。変に依怙地なところのある女なのです。以来わが家のピアノは後 年わたしが歌のレッスンを始めるまで、演奏する者がなく放置されていたのです。
 やがてわたしは多忙になり、ゆっくり音楽を聴くひまがなくなりました。CDやLDを買い集めて夜中、仕事の合間耳を傾けるのが最大の楽しみになりました。そのまま何十年かがすぎ、ある日耳にしたのが「ピアノ売ってチョーダイ」だったのです。
  わたしは感慨にかられました。かつてピアノは富と教養の象徴でした。わたしと同じようにピアノにあこがれたお父さん、お母さんがやっと経済のゆとりを得て ピアノを購入した。娘や息子にピアノを弾かせたいと思ったのでしょう。なにしろ学校ではピアノを弾ける子はスターでした。金持ちの娘、息子が多かった。わ たしも高校、大学時代はピアノを弾ける女性とにあこがれたものです。金持ちで教養あふれる家の令嬢のイメージにとらわれていました。
  同じようにわが子、とくにわが娘を令嬢に仕立てたかったパパやママが、高度成長期からバブル期にかけて競ってピアノを買い入れました。ところがわが娘はあ まり練習に熱心でない。早々に才能に見切りをつけてレッスンをやめてしまう。音大へ入る者はごく一部で、ほとんどの者が挫折します。わが家もそうですが、 ピアノは弾く者もなく無用の長物と化してしまいます。そのうちバブルがはじけてパパもママも経済が不自由になり、ピアノは邪魔者と化します。。日本人の音 楽のレベルが向上したわけでなく「富と教養の象徴」として普及したに過ぎないから,多くの家庭にとってピアノは場所をとるだけの代物とならざるをえないの です。
 そこへ「ピアノ売ってチョーダイ」です。経済のゆとりをなくしたパパやママにとっては渡りに船。つぎつぎにピアノを手放し ます。音楽に対するかつての夢が現実に打ち負かされて去ってゆく。業者に運ばれてゆくピアノを見送るパパやママの気持ちを思うと、わたしは涙が出そうにな ります。
 タケモトピアノの輸出先は最初アメリカが主流だったそうです。ヤマハやカワイの製品はどれも優秀で欧州製品のような当り 外れがなく、アメリカの庶民の音楽レベルの向上に大いに貢献したらしい。現在の主要な輸出先は中国。日本のパパやママのピアノにたいする憧れがいまは外国 の音楽教育に役立っているのです。
 タケモトピアノの創業者はどんな人だろう。彼の一代記と日本人のピアノに対する憧れを小説化す れば日本の音楽の状況が描き出せるはずだと以前からわたしは思っていました。今週、友人の案内で堺市の同社へ取材にいきました。社長は純朴な人のようで ざっくばらんにいろんな話が聞けるかと思ったのに「広報」の担当のおじさんがやたらとわたしを警戒。録音はだめだのプライバシーを尊重しろのと口うるさく 話をさえぎるので、アホらしくなって退散しました。同社は資本金1億円。広報の警戒態勢は数百億、数千億の巨大企業並み。あれではなにか人に知られたくな い弱みがあるのかと疑いたくなります。意義ある会社なのだから、もっと率直になってチョーダイ。