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2017年1月10日 8:16 PM

ボブ.ディランを聴いて

ボブ.ディランを聴いて
 ボブ.ディランのCDを買って聴いてみました。今日までの彼の作品35曲の入ったやつです。何で聴いてみる気になったかというと
 むろん彼がノーベル文学賞をとったからです。賞の選考委員たちも「文学の独り立ち」を諦めて音楽との共演に望みをつないだのかもしれないと思っていました。以前から興味にかられていたのです。もちろん小生がノーベル賞を論じるほどの文士でないことは十承知しています。まあ末端の文士崩れの思い出話を聞いてください。

 わたしは今上天皇と同い年。小学6年の夏休みに戦争が終わりました。昭和21年に旧制中学へ入り、高1のとき事情あって元女学校
 だった共学校へ転校しました。男子校の高校は柔剣道が廃止され、野球やスキー、陸上競技のみが奨励されていました。
 共学校だから何とか早く男女共学を推進したい焦りが教員たちの間にあったのだと思われます。
 体操の時間にスクエアダンスをやると体育の教師が云い出しました。
 スクエアダンスが巷では流行していました。ぴょこんとお辞儀したり、拍手したり、クルリと回ったり、男女が腕を組んでスキップしたり、
 それまで男子校の文化では絶対に相容れなかった軟弱なマナーが数多くありました。見ている側が恥ずかしくなるような集団のダンス。そ
 れがスクエアダンスだったのです。
 男生徒はみんなブウブウ云いました。すると体操教師が、
 「やりたくない者は外で見学しろ」と怒鳴りあげました。
 その若い教師は普段から「おれは弾丸(たま)の下をくぐった人間だ」と偉そうに公言する男でした。進駐軍命令で採用されたばかりの
 男女共学を推進するとあって、男子生徒を脅かしておこうと思ったのでしょう。
 わたしは反発しました。見学しろと云ったのだから云われた通りにするぞ。わたしはさっさと列外へ出ました。2人の男生徒がわたしにつ
 いて列外へ出ます。悔し気に教師はこちらを睨みましたが、「外へ出ろと云ったじゃないスか」
 と反撃されるのがわかっていたので、そのまま何事もなく授業はすすみました。お辞儀したりスキップしたり、情けないダンスをさくをまたいで唯々
 諾々とはげむ男生徒たちを眺めて私たち3人は勝利感に浸ったものです。
 さて、ボブ.ディランのCDを聴いてわたしはまず激しいリズムに打たれました。リズムとともに私の前に一本一本杭が打たれ、ついに柵が
 できたように感じました。「ここから先は入ってはいかん」と通せんぼをされた感じなのです。ロックとか進駐軍輸入の音楽について、わたし
 はいつもそんなふうに感じたものです。無理に入ればnothingを掴まされるだけ、とわたしは進駐軍音楽の経験から身構えていました
 ボブ.ディランについても杭打ちだけは同じでした。だが、ナミのロックと違うのは一本一本杭が打たれる感覚は同じでも、気が付くと私の回りに柵が
 りに柵ができていて、逃げようにも逃げ出す術がなくなっていることです。なるほどこれがノーベル賞のロックか。わたしは改めて耳を澄ましました。
 ました。そして歌詞が恐ろしく長大であるのに気づきました。
 日本製のロックはちょっとした「愛」だの「恋」だのを歌っています。しかしデイランのロックは人生の悩みそのものを歌っているのです。
 CD14番のディランの歌詞。
    そのペンで未来を予言する  作家や批評家の皆さん方(略)
    あなたの目を大きくあけてほしい チャンスは2度とやってこないから
    誰に白羽の矢が立つかなんて  わかりはしない
 ディラン自身のことをこの歌詞は告げているようです。前進を止められていると感じたわたしのセンスに問題ががありそうですね。落ち着いて聴いて
 聴いて再度取り上げることにしましょう。