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2011年5月7日 2:05 PM

ボランティア(2)

たとえ自分が現在若くて元気だったとしても、ボランティア活動には踏み出せなかっただろう、その最大の原因は肉体労働を忌避する意識にあると前回のブログに書きました。おれは頭脳労働者だ、肉体労働はやらないと子供のころからきめこんでいたフシがあります。
勉強して偉い人になれと子供のころから教育されました。肉体労働は偉くなれなかった人がやるのだといつの間にか信じていました。だが、年齢をとり、心身の 衰えを自覚すると、わたしたちの社会は肉体労働が基本になって成立していることがわかってきます。今回の大震災のような緊急時にはもちろん、老人介護も 90パーセントとは肉体労働によって支えられています。頭脳労働者を気取っていたわたしも近い将来、介護する人々の世話にならねばならない。それを思う と、肉体労働を忌避しつつその恩恵にのみあずかる気でいた自分が、なんとイヤラシイ人間だったかと気づかざるを得なくなります。
こんな意識が生 じたのは、むろん勉強優先の教育の結果です。男は社会に出て稼ぎ、女は家で雑用をするという社会通念のせいでもあります。私たちの世代のホワイトカラーは その通念どおりに生き、人生の基本である肉体労働めいた雑用を妻に任せて生きたので、老いて妻に先立たれるとまったく生命力がなくなってしまう。最近男が 家事を妻と分け合うようになったのは、そのことに気づいたせいもあるだろうとわたしは見ています。
わたしの場合、肉体労働を敬遠するようになったのは、少年時代の疎開が大きな原因です。
昭和20年の3月、戦争が危機的状況になって、わたしは京都から父の郷里である秋田県の農村に疎開しました。六年生でした。先祖代々の地主だった父の生家 を破産させた道楽者の義理の祖父に強要されて、畑の開墾を手伝わされました。鍬で土を掘り返すのですが、労働の過酷さよりもその単調さにわたしは音をあげ ました。掘っても掘ってもキリがない。鍬がザクリと土に食い込む感触は快いのですが、石に当るとカチンと跳ね返される。それが不快でたまらない。一時間も やらされると体よりも神経が疲れて泣きたい思いでした。
おまけに農村の子供たちに迫害されました。二言目には「ふん、やっぱり京都からきた人はちがうな。自分ばかり勉強ができるような顔して」だの「先生にめんこがられていいな。おらたち田舎者とは違うもんなあ」などと嫌味をいわれる。
百メートル競走でわたしが一等になると「早いと思って偉そうにする」とみんなで難癖をつける。仕方なく次の機会に三等ぐらいに負けてやると「ふん、どうせおらたちとは本気で競走できねえべ」といってくる。
相撲をとっても大して強い奴はいない。だが、喧嘩になると七、八人がかりで袋叩きにされる。東京からの疎開っ児が大勢でやられるのを見ていたので、我慢するしかない。ちょっとした地獄の日々でした。
初夏のころみんなで山へゆき、飯盒で山菜を煮て食べる催しがありました。山菜取りや焚き火の勝手がわからずにうろうろするわたしに向かって、学業のまるでできない一人の生徒が「マキオは勉強はできるども、サエズがまわらねえな」とバカにしました。
サエズとはなにか。必死で考えて「才智」のことだとわかりました。勉強はできるが、雑用になると気がきかないと嘲笑されたわけです。このときわたしは決定 的に雑用や肉体労働がイヤになりました。ああいうことは頭の悪いお百姓の倅の得意とすることだと断定したのです。以来わたしは決定的に肉体労働を避けるよ うになったようです。ボランティアなどに行けるわけがなくなりました。
今月の「will]に石巻から南三陸までの一帯で遺体の捜索にあたる人々 についての石井光太氏のすぐれたルポが載っています。警察官、自衛隊、消防団それに地元住民らが瓦礫の下から犠牲者の遺体をさがしだすさまが活写されてい ます。それはたんに肉体労働では済まされないすさまじい作業だということがよくわかる。ガンバレだの心は一つだのという掛け声の空しさが胸にひびく。社会 の基本は肉体労働で支えられていること、テレビに出てくる「頭脳労働者」が危機にさいしてはクソの役にも立たぬことがはっきりします。
わたしも頭脳労働者のハシクレです。石井氏の書いたようなほんもののボランティア活動などとてもできない。だが、肉体労働にたいする認識が変わり、謙虚に生きられるようになったかもしれません。そうありたいものです。