mv

2011年9月23日 2:38 PM

同期会

 9月17,18の両日、高校の同期会をかねて秋田の鹿角地方を旅行しました。わたしは前夜東京へ泊ったので2泊3日の旅でした。
鹿角地方は内陸部なので大震災の被害は小さかったが、以後観光客が激減したとのこと。同地方は北に十和田湖、南に八幡平を控え、観光への依存度が高かったようです。そこで鹿角市役所が観光客誘致のため東京ー鹿角の格安ツアーを計画、すでに何度か実行しました。
花輪高校(鹿角市花輪町)同期生の東京周辺在住者がこのツアーに加わって花輪町へゆき、宴会をやる計画を立てたわけです。いろいろ多用だったけど、わたしも参加しました。同期生たちがどんな老人になっているか大いに興味深かった。
わたしは大館鵬鳴高校へ入り、故あって花輪高校を卒業しました。双方から同期会の案内がきます。前者は旧制中が母体の大きな男子校、後者は女学校が母体のこじんまりした共学校です。それぞれ質の違った愛着があります。

東京朝7時発の(はやて)で盛岡へ。10時すぎに到着だから速いのに驚嘆しました。むかしは午後10時に上野発、朝の5時ごろ仙台へ着き、盛岡着は午後に なってからでした。そこから花輪線に乗り換えて約3時間、さらにバスで30分ほど。大阪からは車中泊2日がかりで自宅へたどりつくと息も絶え絶えだったも のです。それが当日の午後2時ごろ花輪町到着。尾去沢高山など見学する余裕があるのだから魂消(たまげ)たもんです。
湯瀬温泉の姫ノ湯ホテルに一泊。姫ノ湯は同温泉の代表的なホテルで、わたしの親戚がオーナー兼経営者でした。前社長はわたしの仲人だった人物なのです。私と妻は約50年前ここで結婚式をあげました。以後もときどき立ち寄った思い出多いホテルなのです。
ところが数年前に姫ノ湯は倒産。韓国のホテルチェーンの経営になりました。むかしは美人の女中さんが大勢いて世話をしてくれたけど、いまは男の従業員がほ とんどで、韓国人の女中さんが2~3名だけ。建物は往時のままだが、サービスはすっかりビジネスホテルぶうに簡素化されていました。でも大宴会の料理は美 味でした。ボランテイアによる「花輪ばやし」もローカルの魅力充分。東京からの往復旅費コミでナント¥16,000の超格安ツアーにしては印象がよかっ た。たぶん鹿角市の援助もあるのでしょう。
食後花輪高校同期会の面々のみでバーに入り、種々の思い出話を交換しました。男は私と元盛岡市議の二 人でだけ。あとは女性五人。リーダーである元大学教授の倍賞さんを中心に話がはずみました。女性三人は未亡人。夫を亡くして2年間は落ち込むけど、あとは 以前よりも元気になるのだそうで、妻を亡くした男がシュンとしたまま立ち直れないのとはエライ違いのようです。
あくる日は花輪町のホテルに地元 の同期生が集合。30名ほどの食事会になりました。花輪高は一学年200名足らずの小人数ですが、卒業60年ともなると出席者はやはりすくない。女性2に 対して男性は1の割合。みんな年老いているけど、老いかたは多様で興味深いものがありました。
男はだいたい重病の経験者で、物故者も多い。わたしは元気な部類でした。いいトシしていまだに色気はあり、ぼちぼちながら書いているのが良いのだろうか。それに職業柄、対人ストレスのないのが大きかった。
女性はほとんどが元気な様子でした。年老いた顔のなかに高校時代の面影を見出すのがじつに楽しい。変わりかたの激しいのは女性のほうで、むかしよりも知的になった人もいれば、びっくりするほどたくましくなった人もいます。人違いして平謝りした人が2~3人いました。
男の同期生に訊いてみると、それぞれ禁酒禁煙だのウォーキングだのダイエットだのみんな同じような自衛策を講じています。それでも大病にかかる者がおり、 かからない者もいる。人の命は運、不運だとつくづく思わされました。わたしだって調子に乗っていたらいつどうなるかわかったものではないのです。
いまのところわたしは運の良いほうらしい。道理でいくら「ロトシックス」を買っても当らんわけだとナットクしました。健康の方面で「運」を使い果たしていたのです。これで「ロトシックス」だなどと欲張ってはいかんのだ。
振り返ってみると、わたしの「運」は土壇場運でした。大学入試も就職も文筆業でも、どん底一歩手前まで追い詰められると、なんだかツキが回って難局を乗り 切ることができたのです。おかげで「なんとかなるさ」の楽観主義が身につきました。こんごもそうであれば良いのだけれど、運良く命を長らえてもボケるのは どうか願い下げにしたい。そのために頑張ってブログをつづけます。