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2011年12月9日 2:56 PM

君よ知るや12月8日。知らぬ奴は非国民

12月8日は何の日か。若い人は知らないでしょう。団塊世代ももしかすると知らんかもね。べつに知る必要もないけど、われら昭和ヒトケタ世代にとっては忘れられぬ日です。
 昭和16年12月8日。太平洋戦争の始まった日です。日本はアメリカ、イギリスを主要敵とする有史以来の大戦争に突入しました。
 わたしは京都北白川国民学校〈小学校〉2年生でした。当日朝起きるとラジオの臨時ニュースが大本営発表を伝えていました。
 「帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英両軍と戦闘状態に入れり」というわけです。
 「うわあ、とうとう始まったか」洗面所で歯をみがいていた父がさけびました。歓声とも悲鳴ともつかぬ引きつった声でした。
 日中戦争の行き詰まり、アメリカによる石油禁輸などの経済制裁、日米交渉の停滞などで大人はみんな重苦しい不安にかられていたよう
です。わたしら子供はなにもわからない。ただアメリカと戦争するのだときいて「これはえらいことになった」と大いに緊張しました。
 学校では沢田熊太郎という禿頭の校長が全校生徒を校庭に立たせて、えんえんと大演説をぶちあげました。わたしたちは大迷惑だったけど、「しっかりせなアカン」という覚悟を新たにしたものです。
 大戦争の開始日だけど街はいつもと変わりなかった。伊藤整、大岡昇平、永井荷風などの日記を見ても「街は平穏だった」とあります。
 国民はいいしれぬ不安にかられながら、口には出せなかったようです。憲兵やお巡りがうるさいですから。
 日本中が沸き立ったのは一、二日後、真珠湾大空襲やマレー沖海戦の戦果が発表されてからです。アメリカ太平洋艦隊が壊滅し、イギリス東洋艦隊の主力戦艦も撃沈した。日本中が狂喜乱舞しました。教えられたとおり皇軍は不敗でした。
 その後も勝利は続き、日本軍はフリピン、マレ-、ボルネオ、スマトラなどへ進軍、香港、マニラ、シンガポールを立て続けに陥落させて、「東亜の盟主」となったのです。
  開戦の日を記念して毎月8日が大詔奉戴日とされました。わたしたち小学生はその日学区内の主要な神社を清掃したあと、隊伍を組みマーチにあわせて分列行進 よろしく堂々の登校をしたものです。まさに12月8日を知らない者は非国民とされたはずでした。(そんな人間はいなかったけど)
日本軍がビルマ方面へ進出したときは中東でドイツ軍と合流するというデマが流れ、わたしたちは世界地図の中東領域を指して、
 「イランという国があるぞ。要らんのやったらもらってしまえ」などと気勢をあけたものです。
 わたしたち「少国民」は誇りと希望にあふれて日々を送り、こんな歌を高唱しました。
  進め少国民 朗らかで元気よく
  胸を張り大手を振って前進だ
  さえぎる者なし くちびるキリリと
  我慢は強いぞいざ進め  進め進め少国民 (後略)
  ところが、日本軍の優勢は半年しかもちませんでした。17年6月のミッドウェ―海戦の惨敗は伏せられていたけど、18年1月のガダルカナル撤退以後は押さ れる一方で、ついには昭和20年8月15日の敗戦につながるわけです。日本軍の無敵の大和魂もアメリカの膨大な物量には勝てなかったと説明されました。
  戦時中の反動で、わたしは日本の国は世界最低だと信じこみました。日本の歴史も伝統も文化もぜんぶダメ。欧米諸国を見習って再建されねばならないと思いま した。アメリカ追従は癪だったので、英仏に学ぶことにしました。じっさいわたしは昭和45年の大阪万博で貧しい国々の存在を知るまでは、日本を最低の国と 思っていたのです。
 あれから70年。日本はアメリカ追従をつづけ、経済では自信を回復しました。だが、いまの子供たちが「胸を張 り大手を振って前進」しているかというとそうではない。われわれの抱く対米コンプレックスを子供たちはうけついで、軍事面はもちろんITなどソフトパワー でもアメリカの傘下にあります。アメリカ化することを進化と心得て誇りに思っている。
 敗戦以来の変化のすさまじさに今更ながら呆 然とします。でも敗戦により失った日本人の自負心はいまだに回復していません。変化した世界情勢にきちんと向かい合って自立可能な防衛力をもつべきなのだ が、アメリカ依存の事なかれ主義の恩恵に一番多く浴したのはわれわれの世代なので、なかなか強くは云えないのです。韓国の国力の上昇の一因は徴兵制にあ り、という議論には耳を傾けるべきだと思うのだ
けど。もと軍国少年としては歯がゆい12月8日でありました。

ボケてしまったけど、写真は小学校2年生の天皇陛下。わたしと同じ年齢であられます。