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2012年8月7日 5:09 AM

国は落ち目、サッカーだけが強くなり

オリンピックも中盤を越え、日本は男女ともサッカーの健闘が目立っています。女子はともかく男子は弱体といわれたのに、強敵スペインを撃破して勢いに乗り、メダルを獲得できそうな情勢になりました。
ヨーロッパや南米諸国がそれぞれ100年以上のキャリアを誇るのにくらべて、日本 Jリーグの発足以来約10年しかたっていません。それなのにこのものすごい急成長ぶりを見ると、日本人はサッカーに向いた国民なのだと思えてきます。
日本人は身体能力において、世界では平均以下でしょう。体格、体力がものをいう陸上競技は不得意です。ジャマイカのボルトなど100米競走の決勝に出ている選手を見ると、同じグラウンドで勝負するのは土台無理だという気がします。
だが、サッカーなら互角以上に戦えることがはっきりしました。組織立った動き、スピード、ドリブルやパスの技術、持続力などの点で外国選手の身体能力に充分対抗できるのです。日本人の団体戦に強いのが今回はとくにはっきりしました。「和をもって尊しとなす」の伝統がこんなとき力を発揮するのでしょう。
だが、わたしにはサッカーに若干違和感があります。今回のアンダ-23の活躍を見てもその違和感が消えません。ゴールをきめたとき、あるいは試合に勝った瞬間など、選手たちはなぜあんなに身も世もなくよろこび、はしゃぎまわるのか。あまりにもガキっぽい。女子についてははしゃいでもべつになんとも思わないけど、男子があれをやると、わたしは苦笑を禁じえないのです。
昭和30年ごろ王貞治選手を擁する早稲田実業が春の選抜高校野球に優勝しました。王はエース兼四番打者でチームを背負って立っていました。
たしか決勝戦だったと思います。その試合でも王はマウンドに立ち、好投して9回裏2死になりました。早実がリード。最後の打者が小フライを打ちあげ、王が難なく捕球してゲームセット。王は歓喜して手のボールをひょいと放りあげ、自分で捕ってから試合終了の挨拶のため本塁へ向かいました。
優勝のよろこびのあまり王はボールを上にほうったのです。さほど目立つ行為でもなく問題にもなりませんでした。
ところが王の父親の仕福さんは試合後、
「試合終了と同時にボールをほうり投げたのは良くない。負けた相手の気持を考えてやらなくては」
と貞治選手をたしなめたのです。
その話をなにかで読んでわたしは武士の情けを教わった気がしました。勝ったからといってこれ見よがしに踊り狂うのはたしかに心ない仕打ちです。有名なカズダンスもわたしは嫌いです。あれは日本人のやることではありません。
サッカーの選手はゴールの瞬間なぜあんなに踊り狂うのか。抱き合い、バンザイし、肩を叩き、殊勲者の背中に飛び乗ったりするのか。やられた側への配慮が少しでもあればああはならないはずです。第一、男同士で抱きあうなんて、わたしたち世代には気色わるくてできないのです。
サッカーの国際試合でわたしは何度も外国選手のそんな歓喜の表現を見ました。なんとなく黒人選手がやるように思っていました。
「仕様がないな。野蛮な国の選手はあんなものだ」
そんなふうに軽蔑していたのです。
ところが英仏独の選手も似たようなものです。Jリーグの選手も同じでした。武士の情けだの慎みだのは勝つためには不要だし、かえって邪魔になるのでしょう。
23アンダーの選手たちはわたしの孫にあたる世代です。感性が変っていて当然です。
妙に感情を抑制するよりも爆発させるほうが自然だし、健康的だという人もいるでしょう。
でも、手放しのバカ踊りはガラが悪いのもたしかです。品格のようなものは自己抑制から生まれます。王仕福さんの考えは日本文化の粋を表しているとわたしは思うのです。
高校野球は試合前にホームをはさんで整列し、挨拶を交わします。試合後も同じ。あんなことをやるのは日本だけです。他国の人が見れば奇習でしょう。
柔道でも相撲でも試合の前後には挨拶をかわします。ほかの競技でも日本では似たようなものです。試合をただの闘争でなく、一段上の修養に至らせようとする営みなのです。しかし国際競技の場からは日本的な美風は駆除される一方です。今回のオリンピックの柔道などは競技そのものが国際化して、日本に不利になっています。
日本のプロ野球の選手は適時打を放った時など塁上で小さくガッツポーズをします。あのぐらいなら許せる。日本的な慎みをうかがわせる行為です。
武士の情けや思いやりに欠けたガッツポーズをプロ野球に最初にもちこんだのは、かつて巨人軍に在籍したクロマティでした。ホームランを打つと彼は右手を突き上げて、
「どうだい。おれの力はこんなもんだ」
と憎々しく内野を一周したものです。
わたしは巨人贔屓だったけどクロマティは苦手でした。相手チームの選手や監督はどんなに嫌な想いをしたことか。この風潮はしだいに広まったけど、サッカーほどひどくはなりませんでした。観客に大人が多いせいでしょうか。
しかしサッカーは遠慮会釈なしに抱きあったり拳を突き上げたりしながら、男女とも格段に強くなりました。日本的感性から遠ざかるほど好成績があがるとなると、よろこんでばかりもいられません。
この20年、日本は「失われた歳月」を経験しました。国力は明らかに低下し、サッカーだけが強くなったのです。「日本文化の衰退」がもたらした成果だとすると、困ったものです。辛い現実から目をそらす方便としてサッカーは繁栄するのかもしれません。。
「六三制野球ばかりが強くなり」
六三制が導入された戦後の混乱期、われわれ野球少年は学力の低下をそんな句でからかわれたものです。
「国は落ち目サッカーだけが強くなり」
そんな兆しが現れているのでなければ良いのだけれど。