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2011年12月29日 2:52 PM

大晦日。アホらし屋の鐘が鳴る

 今年は最悪の年でした。。日本の国はもちろんのこと、今風にいえばわたし的にもロクなことがなかったです。
 小説の注文がポシャッたのが発端でした。某出版社のOBで現在は編集プロダクションをやっている男から一昨年夏呼び出され、、某大手出版社から捕り物帳を出せという話をもらいました。彼はえらく威勢がよく、事業は順調そのもののようでした。
 いまは深刻な出版不況のさなかです。ましてわたしは高齢で、もはや賞味期限のすぎた作家と思われています。捕り物帳が若い読者にバカ受けで、大いに売れているとは知っていました。
 一丁やってやるか。わたしは飛びつきました。捕り物帳なんかこれまで書いたことはありません。わたしにとっては新ジャンルへの挑戦の意味もあったのです。
 張り切ってわたしは書きました。やってみるとなかなか難しくて、年末までに四話仕上げるのがやっとでした。ところが当のOBからこの企画がつぶれたという通知がきました。それもこともあろうに年賀状に書いてきたのです。
  わたしなりに精魂こめて書いた300枚の原稿がパアになった。年の初めにドツボへはまったわけです。わたしは激怒し、正月休みがすんだころそのOBの事務 所へ電話しました。どうも様子がおかしい。彼の事務所の電話は、一本をいくつかの会社で共有する方式でした。インチキ会社がよくこの方式を利用します。当 人は不在。注文をくれたときとはエライ違いです。そうか、こんなこともあるのかとわたしはあきれ、ため息をつくばかりでした。
 そのOBとは後日連絡がつきました。
 「300枚書くのがどんなにシンドイか知ってるやろ。企画が流れたら流れたでもっと早く連絡せんか」
 文句をいうわたしに向こうは平謝りするばかり。むかし世話になったし、当人が悪意でやったのではないとわかるので、わたしはしだいに哀れをおぼえ、アホらしくなりました。小学校のころ口にした「アホらし屋の鐘が鳴る」という文句を思い出しました。
 あとで耳にした噂では、そのOBは躁鬱病の気があったそうで、わたしは彼が躁の時期に注文をもらったらしい。
 正月草々そんなケチがついてわたしは焦りました。まだ引退できる身分ではない。世間は電子書籍の普及期だから、まずパソコン修行を開始し、ついで電子書籍で小説を売ろうと決心しました。
 Dくんというパソコン名人の学生に、週一度指導にきてもらうことにしました。わたしはメールとウィキペディアにパソコンを使っていただけで、原稿を書いたこともありません。まったく初心者としてこの道に入りました。
 なんとか書き方をおぼえ、長編小説に着手しました。Dくんに教わってブログも始めました。赤ワインとブログはボケ防止に役に立ちます。パソコンはやってみると学ぶ点が多々あって、なんでこれまで手をつけなかったかと後悔しきりです。
  しかし、ロクでもないことはつづきました。春先に親しい友人が亡くなり、まもなく震災、原発事故です。、五月には愛犬ベベが死亡し、わたしは急性前立腺炎 で高熱を発しエライ目に会いました。以前から目に異常を感じていたのが、眼科クリニックで加齢黄斑変性と診断され、失明の恐怖にかられる始末。築後二十数 年の自宅にも体と同様ほうぼうにガタがきてメンテナンスに金がかかります。
 ブログは少数の人がオモロイといってくれるのだが、あ まり読者は増えません。電子書籍も実地にやってみると、一部の評論家がいうように有望なものでないとわかりました。ブックリーダーの普及が今ひとつだし、 わたしたちを贔屓にしてくれた読者は高齢化して小説やエッセイをあまり読まなくなったからです。まして電子書籍とは縁が遠い。
 何一つ思い叶わず師走かな
こんな心境で年の暮れを迎えました。だが、12月13日に新しい犬が家へきてから、流れがすこし変わったようです。たぶんこの犬はラッキー犬だとわたしは信じるのです。名前はラビ。
 加齢黄斑変性は誤診とわかりました。なによりもうれしいのは仕上げた長編小説の出版がきまったことです。
わたしなりに努力してきたのが稔りました。企画流れになった捕り物帳も手直しして電子書籍で世に問うつもりです。、ラッキー犬のおかげて「アホらし屋の鐘」ではなく、荘厳な除夜の鐘がきけそうです。