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2011年6月10日 2:19 PM

大阪ステーションシティ

大阪ステーションシティ
いささか旧聞になるけど、この5月に新装成った大阪駅を見てきました。大阪駅をはさんでノースゲートビル、サウスゲートビルがそびえ建ち、二つのビルは巨大な屋根つきの通路で結ばれて、全体でシティを形成しれいるわけです。
電車をおりるとホームから幅広い上りのエスカレーターで屋根つき通路に出るようになっています。友人との待ち合わせ場所が新阪急ホテルなので、わたしは通 路を歩いてノースゲートビルのほうへ出ました。地上何階だかの高さに広場があり左手のノースゲートビルには大阪三越、伊勢丹の入り口があります。ルクアと いう標識はおもにファッション関係の専門店街なのだそうです。
新阪急ホテル方面へは長い通路ができていて混雑する国道25号線をゆっくり見下ろ して歩けるようになっています。ともかく人が多い。ほとんどの人が買い物ではなく見物目的のようです。南北ともゲートビルは巨大だが、スマートなつくりな ので京都駅のようなおどろおどろしい威圧感はない。気持ちよく歩くことができます。
新阪急ホテルで友人2人と落ち合い、通路をもどってサウス ゲートビルの14階の広いレストランへ入りました。友人の予約してくれた窓際のテーブル席からは大阪駅前の阪神デパートや丸ビル、ヒルトン大阪などがはる か下に見下ろされます。こちらの食堂街はどこも満員なのに、阪神デパートの屋上ビヤガーデンはガラ空き。いっぽうの繁栄がいっぽうの沈滞を招く競争社会の 縮図を見る思いでした。
地中海風の料理をとり、赤ワインを飲んで歓談しました。大阪ステーションシテイの各店は営業の標的をはっきり中産階級にしぼっていて、さほど高級でも大衆的でもなくわれわれには心地よい空間でした。
わたしはひとくさり京都駅批判をやりました。京都は歴史を売り物にする観光都市です。その表玄関になんであんなバカでかい、威風堂々の建築が必要なのか。 建物があまりに大規模であり威圧的なので、中へ入ると人間がゴミ屑のように小さく感じられる。人間としてではなく、消費者として扱われている卑小な気持ち になります。。もっとシックで由緒ありげな建築が京都には似合うのです。。
デカイばかりで京都駅は不便でもあります。。タクシーをおりてから切 符売り場や改札口までがおそろしく遠い。一杯やった帰りだと息切れします。老人や弱者への思いやりのかけらもない。。おまけにトイレがせますぎて、改札口 付近の男子トイレはすぐに満員になりますホームのトイレは端のほうにあって、往復すると一キロも歩いた気持ちになる。買い物客ばかり念頭において通勤客や 学生、老人らを無視した駅の見本なのです。
「その点大阪駅はよくできてるなあ。通勤の女の子がちょっと寄り道したくなる構造になっとる」
「けど、ヨドバシカメラへいこうと思うと従来どおり地下道をくぐらないかん。ちょっと面倒くさいのとちゃうか」
「いや、京都駅よりははるかにマシやで。京都の駅ビルの飲食店は料理の味のわりに値段が高い。だまっていても観光客がきてくれるという甘えがある。その点 大阪は下手をすると客が寄りつかんから、必死で味の工夫をする。ステーションシテイの飲食店はどの店も良い味を出してると思うぞ。大阪と京都はきびしさが 違うのだ」
勝手なことをいいあいながら赤ワインを味わううち、わたしははるか下に見える大阪駅前の街のかつての風景が思い出されて、しばらく感傷に浸らずにいられなくなりました。。
大阪駅前は終戦後から何年にもわたって闇市でした。食料の配給がなく大阪市民がみんな飢えにさいなまれていた時代、闇市では金さえ出せば何でも食べたり 買ったりすることができた。皿に伏せたスプーンにメシをかぶせソースをかけたカレーライスが一皿10円。大変なご馳走だったらしい。朝鮮人の闇屋や暴力団 が大儲けしたということです。
闇市時代をわたしは知りません。すこしあとの昭和32年に大学を出て外国系商社の社員になったころ、しばしば大阪 駅前広場に出没ししました。闇市はすでに消え、八割がたは薄汚れた衣料品の問屋、あとは居酒屋、パチンコ屋、麻雀屋、マッサージ屋、ダンス教習所などが雑 然とひしめきあっていました。
わたしは勤め帰りに居酒屋や麻雀屋でよく遊びました。店のテレビで巨人阪神の天覧試合を見たこと、長嶋氏茂雄が阪神の村山実から劇的ホームランを打ったのを昨日のことのようにおぼえています。
ところどころの衣料品問屋の軒下には娼婦が立って客を呼んでいました。なかには美女もいて、若いわたしは誘惑にかられた。給料日に、美女の一人に声をかけて一軒の衣料品問屋に案内されました。問屋は娼婦に部屋を貸して家賃をとっていたらしい。
問屋の梯子段をのぼりながらなにげなく横の部屋を覗いたら、十人ほどの小僧が円い膳を囲んでメシを食っていたのにはびっくりしました。 美女に案内されて 屋根裏部屋へ入った。金を払ったあと『ちょっと失礼』と美女は姿を消し、しばらくして代わりの女が部屋へ入ってきました。美女とは似ても似つかぬ薄汚いオ バハンだった。美女は客引き係りであり、客の相手をするのはオバハンだったのです。おどろいて文句をいったら怖いおニイさんが出てきて
「いややったら帰れ。ぐずぐずぬかすな」
と腕組みして凄みをきかせました。。いそいで逃げるより仕方なかった。
後日その話を会社の先輩にしたところ、その先輩も一度同じ目に会っていて
「社会はそんなもんなんや。女には気ィつけないかんで」
と忠告してくれました。身に沁みる忠告でした。
そんな思い出と目の前の大阪駅前の光景はどうもうまくつながりません。阪神デパート、丸ビル、ヒルトン大阪、その他のビル街。大阪駅前をこれまでにした日 本人の活力につくづく感心します。あのころの衣料問屋街の人間の匂いや息づかい。現在の近代的な大阪ステーションシテイも、結局同じ日本人のバイタリティ の賜物なのです。眺めているとなんだか安心する。東北の被災地も10年後には以前に増して見事に復興するに違いありません。
その夜わたしたちは 北新地の音楽酒場へ出向きました。わたしは「ディ.セタン」(17歳)というシャンソンを歌いました。サビのフレーズの「ディ.セタン」を何度か繰り返す うち、聴いている人たちがわたしに合わせて「イセタン」と合唱したのにはマイリました。伊勢丹の大阪進出はやはり大ニュースなのです。