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2011年5月26日 2:16 PM

官能小説家

著名人の訃報が最近相次いでいます。五月六日には団鬼六氏が亡くなりました。わたしより三つ上の八十歳。生前二度お会いしたことがあるので、感慨深いものがあります。
最初に会ったのは双方とも五十代のときでした。新聞か雑誌で対談したのだと思います。氏は大作「花と蛇」で官能小説の大家となり、月産500枚の時期でした。わたしはサラリーマンを主人公にした官能小説などを同じように書きまくっていました。
会ってみると氏は筆名からは想像もできない上品で温厚な紳士でした。サラリーガマン出身のわたしと違って氏は酒場マスター、演劇プロデューサー、ポルノ映 画制作者、教員、将棋雑誌、SM雑誌の出版など多彩な職歴の持主でした。倒産の経験もあるらしい。人間の性的側面をすでにしっかりと自分の創作領域ときめ て、ゆるぎない信念をもっていました。わたしは「身過ぎ世過ぎ」のため、いわばバイト感覚でその種の小説を書いていたので、なんだか気圧されたのをおぼえ ています。
なにがきっかけで官能小説を手がけるようになったかという話になりました。団氏は30歳のころ酒場経営に失敗してヤケ気味に変名で「「奇譚クラブ」に投稿した「花と蛇」が評判になり、えんえんと連載を始めたそうです。
わたしはといえば、42~3歳のころ大阪新聞でお好み焼きチェーン「ぼてじゅう」の創業者をモデルニ連載を始めたのがきっかけでした。
当時わたしは毎年のように直木賞の候補となり、落選を繰り返していました。34歳で物書きデビュー。40歳までに直木賞をもらうつもりが何度候補になって もダメ。7回落ちると主催の文芸春秋社もシラけてもう候補にしてくれなくなります。困っていたところへ大阪新聞から依頼がありました。よろこんでわたしは 取材し、連載を始めました。
主人公はなかなかの発展家です。芸者との濡れ場がありました。2,3回つづけて濡れ場を書いたところ、大阪新聞から ぜひ打ち合わせしたいとの連絡がありました。なんだろうと思って出かけてみると、、担当者をはじめ文化部長、編成局長らが出席しているのでびっくりしまし た。
打ち合わせが始まると絶賛の嵐でした。連載全般ではなくこの2~3日分が素晴らしいと口々に出席者がいうのです。
「読者がよろこんでいます。大変な反響です」
「いままでこんなに喜ばれた連載はありません」
「この調子でぜひつづけていってもらいたい。おねがいします。」
要するに濡れ場を詳細にかつ多数回書いてくれというわけです。新聞社としては体面上「エッチ場面が欲しい」とはいいにくい。出世前の新進気鋭がエロ化の注文に応じるかという心配もあったようです。まるで連載全体が好評のようないいかたでそそのかしてくれました。
なんだそんなことか、とわたしは思いました。濡れ場を克明に書くぐらいお安い御用です。なにしろベタ褒めに馴れていなかったので 前後の見境なく引き受けました。以後連載は色っぽく進行して好評裡に終わりました。
つづいてサンケイスポーツから注文がきました。とくに「いろもの」の指定はなかったのですが、一丁やってやれ、と今度は最初からその気でした。「金曜日の寝室」というのを始めると、これが大好評。単行本も良く売れてわたしは飲み代に不自由しなくなりました。
以後、小説の注文は多くがポルノ系。生活優先でせっせとわたしは働きました。渦中にいるとわからないけど、その間わたしは作家としてのブランドの信用を失 いつつあったのです。ポルノ系でない小説も数多く書いたのですが、印象に残るのはそっち系ばかり。紳士淑女が書店でわたしの著作を手に取るのためらう作家 になってしまいました。長い目で見ると小説家は読者の本棚の中心においてもらえるような権威と品位がないとやはり一流ではないのです。50歳をすぎてから やっと直木賞を受賞し、イメージチェンジをはかったのですが、多分に手遅れだったようです。
二度目に団氏にお会いしたのは六十代の後半になって から、雑誌の対談の席ででした。氏は貫禄を増し、悠揚せまらぬ老人になっていて、「快楽なくして何が人生」という著作を私にくれました。そのころわたしは 無修正のエロDVDなどを見てあまりの即物性に辟易し、ポルノ小説などもう相手にされない時代がきたと肝に銘じたのですが、彼には世の中の大勢を気にする 様子はまったくなかった。悠然とアウトローの風格を保持していた。本棚の中心にはおいてもらえなくとも、人間の心にひそむSM衝動を描く作品にはひそか な、しかし強固な支持があるのを心得ていたようです。人生経験の差なのか、根性のすわった人物でした。
「腎不全で医師に透析をすすめられているが、断っています」と彼は笑っていました。
右顧左眄せず信念をつらぬき、自分の領域を守りぬいた男のさわやかな笑顔が思い出されます。彼が大阪住まいだったら、もっと親しくなって、あの強さに学べただろうにと残念でなりません。