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2012年6月5日

寝言(1)

満開にはまだ間があるのですが、墨田川の堤は桜見物の客でにぎわっていました。

家族づれや仲間どうしでくりだした大勢の人々が、のんびりと堤をゆききしています。

もう夕刻なのですが、どの顔も桜の色に染まったように明るく見えます。なかには酔って千鳥足で人の流れを乱したり、若い女の尻にさわったり、仲間と肩を組んで気勢をあげたり、はためいわくな者もすくなくありません。

向島の牛島神社から吾妻橋のたもとまでえんえんとつづく桜並木のなかに、ところどころ幔幕(まんまく)を張り毛氈(もうせん)を敷いて酒盛りをする人々もいます。三味の音、歌声、茶番狂言(ちゃばんきょうげん)の声色が賑やかでした。

。弁当、鮨、ところ天、漬け物など振り売りの声も絶えません。

夕刻はまだ川風が冷たく身にしみますが、墨堤の風景は春のまっ盛りです。桜林のなかの歌と踊りはますます盛んになり、人の流れもまばらになる気配がありません。にぎわいは夜までつづきそうです。

「まだ五分咲きだというのに、たいした人出だぜ。不景気の鬱憤晴らしをしたい者が多いんだろうな」

「このぶんだと、巾着切りがそこらじゅうにうようよしていますぜ。手土産に一人か二人、とっつかまえて帰りてえものです」

南奉行所同心の大町大二郎と岡っ引の亀蔵は本所一帯の町廻りの帰り、墨堤(ぼくてい)を北から南にくだっていました。

奉行所中間の新助が小つづらを背負って二人について歩いています。

きょうは両国橋から本所へ入り、綿糸町、亀戸(かめいど)をへて向島へ足をのばしました。さほどの変事もなく夕刻になり、墨堤の花見をかねて家路についたところなのです。

大二郎は三十五歳。わけあって独り身です。八丁堀の組屋敷に母と二人で住んでいます。中肉中背、ひきしまった男らしい顔立ちですが、たまに笑うと別人のように人なつこい感じになり、周囲をほっとさせる男なのです。

「亀蔵親分、おととい浅草でつかまった女巾着切りは、たいしたべっぴんだったんでしょう。どうせ縛るんならそんなのにしましょうよ。おいらが見つけだしてやります」

新助がうしろから声をかけました。

「バカ。色気づきやがって。おめえはもともと娘っ子しか目に入らねえんだろ。うっかり尻をなでたりするんじゃねえぞ。番所の名に傷がつくってもんだ」

ふり返って亀蔵がたしなめます。

四十三歳。背が低くずんぐりした体つきです。名はカメだが、中年になっても動きはすばやく、しかも頑丈です。疲れたの痛いのと弱音を吐いたことがありません。

「ではこうしよう。新助は若い女に目をくばって掏模(すり)をさがせ。年増女と婆さんは亀蔵の受持ちにする。おれはもっぱら男の巾着切りを狙って目くばりするからな」

大二郎はとりあえず分担をきめた。

「わかりました。おいらはピチピチの振袖狙い。董(とう)の立った婆さんはすべて亀蔵親分が目をつけてくださるってわけで」

「なにいってやがる。振袖の巾着切りなんてきいたこともねえや。女掏模は色っぽい年増女というのが相場なんだよ。いまにこのおれが吉原の花魁(おいらん)に負けねえタマをつかまえるから、指をくわえてよく見ていろ」

むだ口を叩きながら三人が墨田川の支流、源森川近くへきました。そのとき、

「喧嘩だァ。駕篭人足どもがあばれてるぞ」

というさけび声がきこえたのです。

源森川の対岸で群衆がさわいでいます。手近な橋をわたって女たちが逃げてくるのと反対に、男たちは橋をわたって見物に走ってゆきます。

大二郎ら三人も橋をわたって駆けつけました。喧嘩はもう終って駕篭人足が五〜六人血まみれで倒れており、勝った人足が七、八人、二挺の空駕篭をかついで意気揚々と川沿いに引きあげてゆくところでした。

「越後屋の若い衆じゃねえか。いってえどうしたんだ、この始末は」

倒れてる一人を亀蔵が抱き起します。

「播磨屋のやつらがうちの縄張りを荒らしやがったんでさ。出ていけといったが、効き目がねえ。それで喧嘩になっちまって」

介抱している若い衆が説明しました。

源森川の北が播磨屋、南が越後屋の縄張りです。ところがきょう、播磨屋の人足が橋の南で客をひろったので喧嘩になりました。人数は五分五分だが、向うには岩ノ松三五郎という力士あがりの巨漢がいて、越後屋勢はたちまち吹っとばされてしまったということです。