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2012年7月27日

寝言(12)

あくる日、大二郎は本所、「待乳(まっち)の渡し」の近くにある「播磨屋」へ向かいました。先日投げ飛ばした岩ノ松三五郎に訊きたいことがあるのです。

瓦町の自身番で岩ノ松の調べ書をつくったさい、彼が長崎の近在の村の出であることがわかりました。その地方の相撲とりは島原藩のお抱えになり、藩主の参勤交代のお供をして江戸へ出てきます。ついで相撲会所の仕切るどこかの部屋に加わり、勧進大相撲の番付に名前をつらねるというしきたりになっています。

島原藩のお抱え力士は長崎でしばしば興行を打ちます。岩ノ松も長崎の町の事情にくわしいはずです。異国の風物を知ろうとするなら、岩ノ松に訊くのがいちばん手っとり早そうだと大二郎は見当をつけていました。

工合よく岩ノ松は店で客待ちしていました。大二郎は近くの水茶屋へ彼をつれだして、縁台に腰かけて聴取りにかかります。

お静の殺された模様をまず話し、ついで圭之介の襲われたいきさつを話しました。

「右のこめかみを強打されて気を失ったと圭之介はいうのだ。しかし、まったく怪我をしていない。棍棒でやられたのなら肉が裂けるはずだし、手刀なら赤い痣がつくだろう。おまえのような相撲とりの張り手を食ったとすりゃ、顔は赤く腫れあがるし、歯も何本かは折れるはずだ。圭之助が怪我ひとつしていないのがおれはふしぎでならないんだよ。そう思わないか」

「素人が相撲とりにこめかみを張られたら、耳もきこえなくなりますよ。旦那のおっしゃるとおりです。で、きょうはなにをお訊きになりてえんで」

「おまえは島原藩のお抱えだったから、長崎に出入りしてたんだろう。唐人のことをよく知っているはずだ。唐手の技について教えてもらおうと思ってな」

「唐手ですか。立ち合ったことはねえが、見たことはあります。そうか、その圭之介とやらは唐手の蹴りを食らったんでしょう。そりゃあひとたまりもねえや。一発で目を回します」

島原藩主が異国の武技に興味を抱き、出島の唐人屋敷から六名の戦士を呼んで唐人どうし試合をさせたことがあったそうです。諏訪神社の勧進相撲でした。岩の松らお抱え力士は藩主、藩士とともに固唾を呑んで見物しました。

相撲とも柔術ともちがって唐手は手や足を刀のように使って戦う武術でした。突き、蹴り、受け技が基本です。

三試合のうち一つはあっというまに勝負がつきました。あとの二試合は突き、蹴りを華々しく交差させる連続技でいくらか時間がかかり、剣の打合いを思わせました。

「蹴りというが、圭之介はこめかみを打たれたんだぞ。唐手使いはそんなに足が高くあがるのか。飛びあがって蹴るのか」

大二郎は半信半疑でした。

試合のさまをうまく思い描けないのです。

「いや、飛びあがりやしません。立ったまま自分より背の高い相手の頭を蹴るんです。下からあごを蹴りあげたり、払うように横面を蹴ったり、突くように蹴ったり、いろいろでござんした。やってみましょうか」

岩ノ松は立って、立ちつづけにいくつかの回し蹴りの型を演じてみせました。

足は肩までしかあがりません。蹴りの速さもさほどではなかった。だが、蹴りの勘どころはぴたりとおさえています。さすが相撲取り。一度見ただけで唐手の型をよくおぼえているものです。

「ほんものはこんなもんじゃござんせん。シュッ、シュッと息もつかせず足が飛んできまさあ。拳の突きもまじってる。いや、めっぽう剣呑な武術ござんしたよ」

岩ノ松は腰をおろし、あらためて記憶をたどっていた。

やがて岩ノ松はひざを叩いた。

「蹴りは足の甲や脛でいれるんですが、足の裏も使うようでした。ほら、こうやって」

あらためて岩ノ松は立って両脚を交叉させ、右ひざを正面に抱え込むと、右に半回転してななめ上を蹴りあげた。

岩ノ松の足裏のかかとの部分が、相手のこめかみを強打するさまがよくわかった。

「さすが相撲とりだな。よく見ている」

感心して大二郎は唸った。

「こめかみを蹴られて怪我がなかったのは、足の裏で蹴られたせいでしょう。ふりむいたとたん出会いがしらにやられたら、相手の顔をみるひまもなかったはずです」

岩ノ松は腰をおろして茶をすすりました。

大二郎は腕組みして考えこんだあと、煙管の刻みタバコに火をつけて訊きます。

「どうやら圭之介は唐手術の蹴りを食ったのだな。しかし、そんな異国の技を使う輩がこの江戸にいるのかな」

「どうですかねえ。清国か琉球の男に手ほどきされた者がいるのかもしれません」

唐手は大陸(いまは清国)で古くから発達し、琉球に伝わった武技です。

琉球は寛永の世(一六二四――四四)からこちら薩摩藩が支配しています。つまり薩摩藩士のなかに琉球人から唐手を習ったものがいるかもしれないのです。

いや、武士とはかぎりません。江戸は広い。唐手使いの町人が一人や二人いたとしても、ふしぎではないのです。雲をつかむような話だが、どこかにひそんでいる唐手使いを大二郎はさがしださねばならないようです。

「世話になったな。おまえの話、ずいぶんと値打があったぜ」

大二郎は会釈して腰をあげました。

「いえなに。お役に立ちゃ、あっしもお話し申しあげた甲斐があるってもので」

岩ノ松は巨体を折って頭をさげ、ついで頭をかきながら申し出ました。

「大町の旦那、お願えがございます。あっしを手下の一人に加えてもらえますまいか。頭の廻りのいいほうじゃねえが、捕物などでは一働きしてごらんにいれますよ」

駕篭屋の用心棒と人足はつづける気でいます。

用があるときだけ呼んでくれれば、使い走りでもなんでもします。給金はあるとき払いで良いというのです。

「そうか、わかった。いま使っている岡っ引どもと相談してみよう」

いわれて岩ノ松は喜色満面で頭をさげました。

思わせぶりな返事をしたものの、岩ノ松の力を借りねばならないほどの大捕物など、めったにあるわけがないのです。しかし、巨漢の元相撲とりをつれて町回りをするのはいい気分だろうし、世間への睨みもきくはずです。どうしようか。迷いながら大二郎は帰途につきました