mv

2012年7月28日

寝言(14)

いっぽうで青島屋竜右衛門の人となりもほぼ明らかになってきました。

竜右衛門は爪に火をともすようにして金を貯め、十数年まえに小さな質屋を出しました。朝から晩まで店をあけて客に愛想をいい、かたわら金銀の相場で儲けて、やがて両替屋をはじめたのです。裏で手広く金貸しをやり、みるみる分限者になったという噂です。

暮しぶりは質素。絹物を身につけず、駕篭に乗らず、三食ともに一汁または一菜で済ませます。三日に一度、夕餉に目ざしかしじみ汁がつきました。

正月にも着物を新調しません。奉公人ともども着たきり雀で通します。酒は少々たしなむが、羽目をはずすことはありません。歌舞音曲にも妓楼にも興味がなく、ひたすら蓄財にいそしんできました。

妻を娶るとそのぶん出費が増すので、竜右衛門は独り身です。四十近くになってようやく嫁をもらい、女の子を一人もうけました。

新造は多額の持参金をもってきました。派手な女で、ふだんも絹物をまとい、五日に一度は女中をつれて駕籠で芝居見物に出かけます。粗食が気にいらず、勝手に料理や菓子をとったり、料理屋へ出向いたりするのです。茶ノ湯、三味線、俳諧など習いごとにうつつをぬかして、朴念仁の夫をバカにしていました。

つれそって四年目、たまりかねて竜右衛門は妻を離縁しました。持参金を丸返しするのがいやで耐えていたが、我慢しきれなくなったようです。

しばらくして吉原からお静を身請けしました。身代金二百両ときいて番頭は肝をつぶしたが、本人は意に介さず、

「いや、金食い虫のご新造よりよっぽどマシだよ。鼻についたらとりかえればいい」

と目じりをさげていました。惚れていたのです。

お客にはペコペコし、上手にお世辞をふりまいていました。言葉遣いのどこか舌たらずなのが、ご愛嬌でした。

奉公人にはきびしい男です。帳尻が合わないと、すぐ番頭や手代の使いこみを疑うのです。

ふつうの商人(あきんど)は、奉公人が店の商いに相乗りして小遣いをせしめても咎めないが、竜右衛門は容赦なく内緒の稼ぎをとりあげます。わずかな不正でも、見とがめて暇を出してしまいます。古くからいる番頭を追いだすと、分家させる費用が助かるのです。奉公の年月の長い者ほど冷や冷やして日々をすごさねばならない。

こんな工合だから、声をひそめて主人の悪口をいう奉公人に不足はありませんでした。

「血も涙もねえってのは、うちの旦那のことですよ。金儲けのためならなんでもやるお人でございます」

「貧乏な年寄りに同情して質草を甘く値踏みした手代がすぐに暇を出されちまいました」

「質流れの品の卸しのさい、鼻クソほどの余禄をあずかった手代が小僧の告げ口でお払い箱になりました。おまけにその小僧が誉められて手代に取り立てられたんです。これじゃ奉公人は敵どうしですよ」

他人を信用しないぶん、竜右衛門はさちという先妻とのあいだにできた一人娘を猫可愛がりしていました。

寺子屋には出さず、師匠を家に呼んで読み書きを習わせています。踊りや琴も同じです。

「かわいいなあ、おさちは。なんてべっぴんなんだ。おまえはお父っつあんの宝だよ」

目じりをさげっぱなしで娘を抱きしめるのです。

さちはことし七つになります。竜右衛門はさちを着飾らせて花見や紅葉見物につれてゆくのをいちばんの楽しみにしています。

花見はおもに墨田堤へ出かけました。一風変っているのは、春の終りごろ上野の山や浅草寺の海棠の花を見にゆくことです。

枝から垂れさがった渋紅色、幅二寸ばかりの海棠の花は、咲きそろうと美しいが、桜とちがって葉がまじり、花一色とならないのでさほど人気がありません。だが、竜右衛門はことのほか海棠が好きで、

「おさちは海棠の花だ。きれいだが、目立とうとしない。つつましくうなだれている」

などと娘の手を引いて見てまわります。

「変ってるなあ、うちの旦那は。あんな花、桜の足もとにもおよばねえってのに」

と奉公人らは首をひねっているのです。

この話をきいたとき、大二郎は「海棠の雨をおびたる風情なり」という浄瑠璃の文句を思いだした。美女の憂い顔という意味です。

唐の玄宗皇帝が楊貴妃の酔った姿を見て、「海棠の眠りいまだ足りず」とそのなまめかしさを讃えました。以来、唐の国では海棠がもっとも美しい花とされています。

ひょっとすると竜右衛門は唐人ではないのか。初めて疑りが大二郎の胸に湧きました。

このころ中国の王朝は清です。だが、わが国ではむかしのまま唐で通っているのです。

人形師の圭之介は唐手の蹴りを食って気を失いました。唐手を使う者が数多く江戸にいるとは思えません。竜右衛門が唐人だとすれば、唐手使いだとしてもふしぎではなくなります。圭之介を襲ったのは竜右衛門であり、襲ったわけは圭之介にお静と赤ん坊殺しの罪をかぶせるためだったのかもしれません。そんな筋書が見えてきました。

だが、竜右衛門はお静を可愛がっていたはずです。なぜ殺す気になったのか。お静に間男がいると知ったせいか。赤ん坊が圭之介の子だと早合点して、逆上したのだろうか。

大二郎が疑いを亀蔵にもらすと、亀蔵はあきれた顔で反対意見をのべました。

「青島屋が唐人だなんて、まさか旦那、本気じゃありませんよね。長崎へやってくる唐人はみんな唐人屋敷にいれられて、街にゃ出られねえって話ですぜ」

長崎湾の南岸にある唐人屋敷は、出島のオランダ屋敷と同様、周囲を奉行所の役人に厳重に見張られています。

外出のゆるされるのは、数人づれで市内の神社仏閣にお詣りするときだけ。それも役人と通詞に付添われてのことです。

「いや、おれは本気だぜ。青島屋はどうも日本の男とちがう匂いがする。唐人屋敷からぬけだして江戸へ出てきたのかもしれぬぞ」

「まさか。一人ぬけだしたところで、西も東もわからねえよその国で、どうやって生きてきたんですか。まして江戸の大店の主人におさまるなんて、できっこありません」

「しかし、この世には信じられねえ事柄も数多くある。調べてみても罰はあたるまいよ」

長崎の男としめしあわせて抜荷をやるため、屋敷をぬけだす唐人がたまにはいるようです。だが、帰りの船の出向までに彼らは屋敷にもどるのが通例です。なにかの事情で屋敷に帰れなくなった男が青島屋竜右衛門ではないのか。大二郎は気になって仕方ないのです。

「大町さん、そりゃ思いすごしってものだ。自分がなにか罪をおかして捕り方に追われ唐の国へ逃げ込んだとしてみなよ。勝手がわからずうろうろして、ものの四、五日でつかまっちまうだろうぜ」

定町廻りの先輩や同輩も、大二郎の見立てをまともにとりあげようとしません。

が、そうなると大二郎はますます疑念が濃くなります。生れつき天邪鬼(あまのじゃく)なのです。

とりあ