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2012年7月30日

寝言(15)

あくる日、大二郎は亀蔵、新助をつれて、死んだお静の家を数日ぶりでたずねました。

事件のあと、家はしめきられています。女中のくみは親もとへ帰ったということでした。

大二郎らは雨戸をこじあけて家へあがりこみました。なかは惨劇の気配もなくかたづけられ、家具などはきちんと残されています。

文机のひきだし、小箪笥、手文庫などからお静の書いたものをとりだして調べました。花魁あがりだけあってお静は和歌の心得があり、筆蹟もうるわしい。自作の歌を書いた色紙、短冊、巻紙のたぐいが数多く出てきました。漢詩の大型の稽古帳もあります。

「こんなのじゃない。覚え書がほしいんだ。日記がありゃなお助かるんだが」

大二郎の声にこたえて、新助が茶箪笥のひきだしから覚え書の帳面をとりだしました。

買物、飲食の内わけと代金、芝居見物や寺社詣での予定、芝居の声色や浄琉璃の文句などが記してあります。その数行に目をとめて、

「これだ、これ。やはり書きとめていたんだ、お静は」

と大二郎はさけびました。

ぶ はぉら くわぁい、かいちゅあん。くわぁい くわぁい。

にー ちゅい すう

ぶしん いーじん。あーます。じゅうみ んーじゅうみん。

流れるような筆蹟で記してあります。おそらく就寝中に竜右衛門が口走った寝言なのです。

「なんてェ意味なんですか、これ」

亀蔵と新助が両側から覗きこみました。

「わからないよ。だが、まずまちがいなく唐のことばだ。竜右衛門が寝言でこれをいった。お静は耳にとめて、竜右衛門が唐人だと気づいたんだろう」

「な、なるほど。寝言じゃ地金が出ます。そ、そうか。お静はこれをネタに青島屋をゆすったんですね。ひまをもらって店をやる金を出させようとして」

「ご明察。だからお静は殺されたのさ。唐人だとバレりゃ、竜右衛門は唐人屋敷送りになる。なんとかそれを食いとめようとして、必死だったにちがいない」

唐人が抜荷などの罪をおかして長崎奉行所に捕えられると、手鎖をつけて唐人屋敷へ送り返されます。

首を斬るなり故国に送り返すなり、唐の掟に裁きをまかせるのです。竜右衛門はむかし唐人屋敷へもどれない大罪をおかして、江戸人にまぎれこんだのでしょう。

大二郎らはお静の家を出て、青島屋の本店がある浅草三軒町の自身番をたずねました。

人別帳を出させて、青島屋竜右衛門についての項目に目を通します。

それによると竜右衛門はいまから十二年まえ、肥後の宇土から江戸へ出てきて、いま本店のある場所で質屋を開業しています。小僧が一人いるだけの小さな店だったようです。ほかにはとくに記された事柄もないから、往来切手などは偽造したのでしょう。

小さくとも質屋をやるにはそれなりの元手が要るはずです。抜荷で儲けた金で竜右衛門は開業したらしい。

以後の繁盛ぶりも尋常ではありません。両替商の「青島屋」には二つ、質商の「青島屋」には三つの支店が現在あり、奉公人は五十名あまり、持金は七、八千両といわれています。いくら竜右衛門がやり手でも、わずか十二年でここまで大きくなれるものでしょうか。

「こりゃ裏になにかあるな。長崎の奉行所と唐人屋敷にいそいで問いあわせよう。縛るのは竜右衛門の所行がさらにはっきりしてからでも遅くないだろう」

亀蔵、新助をつれて大二郎はそこを出ました。

夕刻大二郎は亀蔵と別れ、新助とともに南町奉行所へもどりました。すぐに机に向かって長崎奉行所への依頼状を書きはじめます。

青島屋竜右衛門が唐人とわかったいきさつを説明し、十二、三年まえに姿を消した唐人がいたかどうか、唐人屋敷に問いあわせてほしいと申しいれました。竜右衛門の年のころ、人相風体、唐手の特技のあること、彼が寝言でいったことばなども書き加えます。深夜になってやっと、竜右衛門の似顔絵つきの依頼状ができあがりました。

返事のくるまで一、二ヶ月かかるでしょう。