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2012年6月5日

寝言(2)

「よし、いこう。けが人が出たからにゃ、見逃しちゃおれぬ」

亀蔵らに声をかけて大二郎は歩きだしました。

その力士あがりの男を捕えて吟味しなければなりません。

「旦那、着替えはいいんですかい」

新助が追いついてきて声をかけました。

彼の背負った小つづらには同心の捕物装束が入っています。鎖帷子(くさりかたびら)、鎖鉢巻(くさりはちまき)、脛当て、篭手(こて)などです。でも、いまからそんなものを身につけるひまはありません。

大二郎はかぶりをふってみせ、歩きながら羽織をぬいで新助に手わたした。たすきをかけ、着物を陣ばしよりにする。ついで走りだし、二の橋のそばで「播磨屋」の人足どもに追いつきました。

大二郎らを見て、「播磨屋」の者どもはうすら笑いをうかべます。なかにいる際立った巨漢が岩ノ松三五郎のようです。 追ってきた越後屋の人足がさけびました。

「やい三五郎、さっきはよくも仲間に怪我をさせてくれたな。八丁堀の旦那がお呼びだ。神妙に番屋へお供しやがれ」

縄張り荒らしの人足どもは足をとめます。

三五郎がいまいましげに口をひらきました。

「八丁堀の旦那、怪我をさせたといわれるが、あっしはなにも乱暴を働いちゃいませんぜ。越後屋の衆がうるさくつきまとうから、こうやってふり払っただけでさ」

三五郎は右手でふり払う仕草をします。

「そうだよ。越後屋のやつらがさきに撲りかかってきたんだから。岩ノ松に落度はねえ。番屋へ呼ばれるような咎人じゃござんせん」

三五郎の仲間が口を添えました。

「うるせえや。岩ノ松神妙にしやがれ。番屋へきて落としまえをつけるんだ」

亀蔵が近づいて元力士の右手首をつかみました。

三五郎は左から右へふり払います。はずみで三五郎の大きな拳の甲が、亀蔵のあごの右側を一撃しました。

にぶい音とともに亀蔵は二間あまり吹っ飛び、地上に倒れました。そのまま亀蔵は口もとをおさえて起きあがれません。指のあいだから血があふれだしました。あわてて新助が駆けよります

岩の松三五郎は右拳でふり払っただけで亀蔵をふっ飛ばしのです。あきれた怪力です。利き腕をまっすぐ突きだして拳で一撃したら、亀蔵の顔面はぐしゃぐしゃに潰れたにちがいないありません。

そのまま三五郎は去ろうとします。大二郎は走って立ちふさがり、

「おとなしくしろ岩ノ松。番屋へくるんだ」

きびしくいいわたしました。

「うるせえや。なんの咎でいかなきゃならねえんだ」

岩ノ松は凄み、ヤーッとさけんで双手突きにきました。

まともに喰えば大二郎は亀蔵以上に吹っ飛ばされていたはずです。

とっさに大二郎は身を沈め、岩ノ松の腹へ飛びこみました。太い左腕をひっつかみ、回転して思いきり腰を跳ねあげます。得意の一本背負いでした。

岩ノ松の両足が高く跳ねあがります。瞬間大二郎は回転をやめ、つかんでいた丸太ん棒のような左腕を手放して体ごと落下させたのです。

岩ノ松は大二郎の肩から垂直にすべり落ち、頭を土に激突させました。

一本背負い逆落とし。大二郎が工夫して磨きあげた大技です。岩ノ松は目をまわし、倒れたまま動きません。ひたいが割れて血があふれ出します。落ちた瞬間右手をかばい手にしたのだが、落下の勢いをささえきれず、頭がまともに土と激突したようです。

すかさず新助が岩ノ松へ飛びかかり、うしろ手に縛りあげました。ついでに手拭を巨漢のひたいに巻いて手当をしてやります。

亀蔵が上体を起し、両手で自分のあごをもちあげたり、歪めたりしています。

「どうした亀蔵。あごが外れたか」

大二郎は亀蔵のうしろにまわり、両手をあごに当ててカキンと関節をもどしてやりました。

「あ、ありがとうございます。ふう痛てえや。相撲とりのバカ力は半端じゃねえよ」

倒れている岩ノ松三五郎を見ながら、亀蔵はよろよろと立ちあがりました。

気絶していた三五郎も意識をとりもどしました。けげんな顔で周囲を見まわし、縛られているわが身を見まわしてやっと事態を思いだしたようです。仲間にささえられて無念そうに立ちあがりました。

「お見事でした、八丁堀の旦那」

「胸がすっとしやしたぜ。相撲とりをぶん投げるんだからな。よう、八丁堀の大関」

おびただしい野次馬が口々に称賛のことばを投げかけて、遠巻きの輪を解いてゆきます。

岩ノ松三五郎はまだ二十代。同じ部屋の力士と喧嘩して大怪我をさせ、昨年、部屋から追放されたということです。力が衰えて引退した力士ではありません。野次馬たちはみんなそれを知っていました。

大二郎ら一同は瓦町の自身番へ向かいました。