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2012年7月24日

寝言(9)

「そうなのか。どうりで近ごろお静の様子がおかしいと思っておりました。三十両用立ててくれと申すのですよ。それまでは贅沢をいわない、よくできた女でしたのに」

「三十両か。なんにつかう金なのかな」

「父親が喘息を病んで、医者や薬代がかさむといってました。ほんとうかどうか調べようとした矢さきに殺されてしまったのでございます」

お静の父親は下総取手村の百姓だということです。

娘を吉原に身売りさせたのだから、貧農なのでしょう。だが、病苦にあえいでいるというのはたぶん嘘だと竜右衛門は思っていました。

「どうして疑うのだ。お静はよくできた女じゃなかったのか」

大二郎が突っこむと、竜右衛門は一瞬たじろいだようだが、すぐに淀みなく答えました。

「質素な女が急に金を欲しがるので妙に思ったんですが、いま私なりに腑に落ちました。お静はその圭之介とやらに金をせびられていたのじゃございませんかね。埒(らち)があかないから、圭之介は逆上してお静を殺した――」

「なるほど、ありえぬ話ではないな」

「ひょっとすると、お静は圭之介をもてあまして愛想づかしをしたのかもしれません。金の当てははずれるわ、縁切りはされるわで圭之介はカッとなって」

「それもありうる話だな。しかし、お静の父が病いだというのが嘘だとはまだきまっておらぬぞ。そこまで疑っていいものかどうか」

いわれて竜右衛門はおそれいって平伏しました。

「相済みません。ただの当てずっぽうでございます。圭之介なる間男がいたと知って、私はお静が信じられなくなりました。かつて花魁だったといっても、しょせん遊女は遊女。男をだます手管にたけていたのです」

「青島屋。おまえはわれら番所の役人よりもよっぽど頭が回るじゃねえか。立派な筋立てを考えてくれて」

冷やかされて竜右衛門は小さくなって恐縮しました。

「相済みません。出すぎた口をきいてしまいました」

「いや、いろいろためになることを教えてもらって助かったよ。ご苦労だったな」

青島屋が帰ってしまうと、もう有益な話をききだせる相手はいないようでした。

大二郎は新助をうながして帰途につきました。

八丁堀組屋敷の入口で新助と別れ、自宅へもどると、もう四ツ(午後十時)でした。

思ったとおり亀蔵が座敷で待っています。

「お帰り。すぐごはんにするかい」

玄関へ迎えに出た母の八重が訊きました。

「いえ、亀蔵の話をきいてからにします」

答えて大二郎は仏間に入り、仏壇に線香をあげ、両手をあわせます。

父の大町重兵衛と、大二郎の亡妻ふみ、死産した赤児の位牌が仏壇にならんでいます。

重兵衛は七年まえ中気で死去しました。ふみのほうはそれ以前に赤児を死産し、自身も衰弱がひどくて生命を落したのです。

以来、大二郎は母と二人暮しをつづけてきました。ときおり後添えの話がきますが、耳を貸したためしがありません。母がいるので身辺に不便はないし、馴れると独り身の気楽さのほうが身に合っていたようです。

大二郎が座敷へ入ると、亀蔵が待ちかねて口をひらきました。

「人形町へいってまいりやした。職人の圭之介、あいつは十中八九、妾殺しの下手人でござんすよ。くわしい調べはあすってことにして、大番屋送りにしてきました」

亀蔵がきいた話では、圭之介は職人として腕は立つが、まだ独り身で長屋で暮らしています。

身持は良いほうではないようです。妓楼はもちろん賭博へ出入りすることもあるらしい。

夕刻、亀蔵が圭之介の家をたずねると、表戸は空かず、家のなかはまっ暗でした。呼んでも返事はありません。

となり近所に当たってみたところ、三人の女房が自宅へ入る圭之介を見たといっていました。女房たちが井戸端でおしゃべりしていると、圭之介が表通りから自宅へ、ひどくあわてた様子で駆けこんだというのです。

すこしたって圭之介は水かめをかかえて井戸端へ出てきました。水をくんですぐ自宅へもどったのです。女房らが声をかけたが、上の空でなま返事をしただけでした。

以後、圭之介を見た者はいません。圭之介は家にひそんでいるのだと亀蔵は見当をつけ、あらためて彼の家の表戸を叩いて呼びかけてみました。