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2015年7月21日 3:02 AM

平尾城のバカ話

もう1週間前になりますが、堺市の美原区へいってきました。河内平尾城祉を
見物するのが目的です。
平尾城は楠木正成の建てた小城で、正成の三男正儀(まさのり)がここに拠っ
て幕府軍と激戦を展開しました。正成は忠臣の見本とされた人ですが、その
三男正儀は吉野の南朝を裏切って北朝方(幕府方)へ味方し、また南朝方へ
寝返って楠木一族をなんとか室町時代の末まで生き残らせた人物です。
平尾城は正儀が南朝方へ再寝返りし最初に幕府の討伐軍と戦った城でした。
歴史上は大して重要な城でもないのですが、小生の書いている「新楠木三代記」のラストシーンとなるので見学にゆきました。小説は臨場感が必要なのでなるべく現場を知るほうが良いのです。
さて1週間前といえば酷暑がつづき、あすから台風3つが日本を襲うとかで、
天気の崩れが予想されていました。昼間は気温34~35度が予想されるらしい。そこで今のうちにという気で午後3時前に家を出ました。夕刻少しでも涼しい
ころに見物する気で出かけたのです。
南海高野線で萩原天神駅に着いたのが午後4時ごろ。タクシー乗り場がないのにガクゼンとしました。無人駅なので呼ぶあてもない。猛暑のなかを城跡まで約4キロを歩くわけにもゆかず、しばらくウロウロ。暑くて目がくらみました。地図
で見ると付近に堺の東区役所があります。そこへたどりついて、守衛の男性に
タクシーを呼びたいと申し入れたところ、
「そこのポスターの番号に電話をかけなさい」と教えてくれました。
いわれたとおりポスターの番号を呼びだすと、なんだか要領を得ません。
「お客さん、どんな車椅子に乗ってはりますか。障害者手帳は」
と訊かれてようやく介護タクシーの会社だと気付きました。守衛に文句をいった
ら、公衆電話のある庁内の売店に案内してくれました。お姉さんに教わって
2,3の社を呼び出し、やっと区役所の正門前に迎えに来てくれる約束ができました。
ところが待てど暮らせどタクシーは来ない。涼しい庁内で待つうち売店のお姉さんが走ってきて、タクシーが待ってると教えてくれました。小生にすれば、地元茨木の病院で頼んだタクシーが着くと、運転手が「○○さん、タクシーです」と呼んでくれるのが当り前だと思っていたのです。あわてて駆けつけると、運転手はすっかりシラけて、もう帰ろうかと思ってたというわけです。ともかく平尾城祉へいってくれというと、そこがどこか運転手は知りませんでした。地図を見せてやっと納得し運んでくれたのですが、同じ大阪府下でも勝手の分らぬ場所へゆくのは外国へゆくも同然だとわたしは思いました。大阪は広いで。
しばらく坂をのぼり、地図のさつき野2丁目へきました。私は茫然としました。周
辺に城の石垣や堀の跡などはなく、整然と開発された住宅街がひらけていた
のです。家々は同じ瀟洒な造りで、それが一軒一軒庭付きで、高級感を強めていました。堺にこんな高級住宅街があるのかとおどろかされる風景でした。大成学院大の敷地が昔の城の曲輪(本丸、二の丸などの平地)だったようです。
わずかに土塁の跡、河内鋳物師の工房跡に記念碑が立っているだけです。
しかし、こちらもプロの物書き。近くの山並みの姿や頭で描きだした城のありさま、北西の狭山池方面にひろがる敵陣の模様など、かなりの参考になりました。
いまや小説は何か話題性がないと売れないようです。お笑い芸人の又吉ナントカいう人が芥川賞をとり、100万部売れるそうな。話題性。わたしが話題になるとすればなにかいかがわしいことをやるしかないのでしょう。
同じ楠木系列でも有名な千早城、赤坂城はきちんと残されているのに、平尾城ときたら石碑しか残っていませんからね。
弘和三年(一三八三)。後円融上皇が可愛がっていた官女按察局(あぜちのつぼね)と足利義満の仲を疑い、出家させたところ、義満が怒ったので上皇は自殺をはかったという話があります。朝廷にも庶民と変わらぬバカ騒ぎが多々あったようです。

天皇の女官が楠木正成と平尾城でデートしていたなんで話を書いたら、平尾城も有名になるのかしら。「そんなアホな」と笑われたくないのが、わたしの最大の弱点でしょうな。