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2014年3月18日 4:36 AM

恐怖の街 梅田

必要な地図を買いに梅田へ出ました。ジュンク堂に欲しい地図がなかったの
で、旭書店へ行ってみる気になりました。大阪駅前第一ビルから第三ビルの
北側の道を東に向かって歩きました。四ッ橋筋から御堂筋まで歩いたことに
なります。
梅田のビジネス街を昼間歩いたのはひさしぶりです。周囲の光景があまりに
変わっているので仰天しました。大阪駅周辺に30階建て50階建の超高層
ビル(階数を数えたわけではないけど、感じとしてそれだけの高さ)がいく
つも建ち並んでいるのです。空までとどくかと思われるビルばかりです。
ニューヨークにいるような錯覚にとらわれました。
梅田界隈を歩くのはいつも地下街を通るので、地上の昼間の光景を見たこと
がなかったのです。夜間に通ることが多かったせいもあります。最初はその
ことに気付かず、家で書斎籠りをしているうちに、世の中はこれだけ激変し
たかと、ちょっとした今浦島の心境でした。
超高層ビルを眺めながら歩くうち、ビルというものの概念が変わったのだと
気づきました。むかしの概念のままでいたからショックが大きかったのです。
わたしが大学を出て就職した時分、巨大ビルと云えば大阪駅前の第一生命ビ
ル、阪神、阪急デパート、御堂筋沿いの大丸、そごう、さらに高島屋ぐらい
のもでした。わたしが入社した外資系会社はそごう百貨店の北の心斎橋ビル
の中にあって、なんだか鼻の高い気分だったものです。それらのビルのそば
を通ると、たかだか7~8階建てで一辺が100メートルもない程度のビル
なのに、首や肩に重苦しい圧力を感じたものです。建っているだけでそれら
のビルは人を圧倒する体積と重量をもっていました。
いまマルビルや駅前第4ビルのあるあたりは闇市の名残りの薄汚い繊維問屋
街。夜は怪しげな女が客を引いて問屋の2階や3階で営業していました。
駅前第1ビルから第4ビルまでが順番に建設されたのはいつごろだったか。
それらの公立ビルはいずれも一辺が長く、高さも10階以上あって、堂々と
していて「復興」を実感させたものです。駅前の怪しげな繊維問屋街や付随
の飲み屋などがすべてビル内に吸収され「さすが」と思わせたものでした。
駅前第1~第4ビルがわたしら年配者にとっての巨大ビルだったのです。そ
れがいまや不確かながら30階建て50階建の時代なのです。話題のアベノ
ハルカスは58階が展望台だそうで何階建てというべきかわかりません。
ともかく昨日、わたしは梅田の超高層ビル群に空をふさがれる思いで歩き、
ビルの巨大さにくらべて自分をひどく小さく感じました。行き来する人も車
もまるで微細なゴミのような存在に思えました。
そして現代はビルのみが巨大化し、人間は卑小になる一方の時代だと気づき
ました。
非正規雇用の若者は不安定で希望のない生活を送っています。彼らの犠牲の
上で大企業は生き延び、ビルは高く伸びるのです。超高層ビルの大企業の正
社員も夫婦共働きでないと食っていけません。フウフウいってしんどい人生
を送っています。かれらの働きのおかげで会社のビルはニョキニョキと成長
し、きりもなく高く伸びたがります。
わたしはある評論家の書いた建築業界の現状を思いだしました。
アベノミクスの第2の矢、国土強靭化、消費税対策の名のもとに、公共事業
の壮大なバラマキが行われているようです。ところが建設業界は人手不足で
人件費が高騰、円安による資材費の高騰、輸送能力の限界などで工事の遅れ
や入札の不成立が続出して、けっしてボロ儲けではないそうです。
円安なのに輸出は思惑ほどのびず、設備投資ももう一つ。アベノミクスの手
づまり感は深刻の度を増しているようです。
それでもビルは天に向かって伸びるのです。人間は蟻のごとく働いてビル
の成長に寄与するだけ。超高層ビルの乱立のもとでますます小さくなるばか
り。理想も野心も小さくしぼんで、ただの働き蟻になるだけです。
そんなことを考えたら、超高層ビルが立ちあがってドシンドシンと歩きだし
われわれ人間を踏み潰して行くような恐怖におそわれました。
かつて大阪駅前の繊維問屋街には、きれいなおねえさんが立って客を引き、
いざ部屋へ上がるととんでもない醜女をあてがわれる恐れがありました。抗
議すると、
「なんか文句あるんかい」
と怖い御兄さんが出てきたのです。
現代は超高層ビルのお化けに踏み潰される恐怖があります。そんなSF風の
妄想に駆られると困るから、昼間は地下街を歩くべきでしょう。

四ッ橋筋から御堂筋まで歩いたのですが、旭屋書店の場所には巨大高僧ビル

が建設中で、同店はどこかに消えていました。地図は結局手に入らず。

やっぱり夜、北新地を通りぬけるのが、梅田界隈の正しい歩き方ですかな。