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2013年9月16日 3:32 PM

恥入りましたぜ佐藤さん

月日のたつのはホントに速い。東京オリンピック決定からすでに約10日。でも、わたしは決定の日がわすれられません。本番よりもパラ リンビックについて深く知り、これまでの迷妄から醒めました。IOC委員の一人になった気分でした。
ありがとう、そしてすいませんでした佐藤真海さん。テレビであんな気持の良いプレゼンが見られるとは全く予想外でした。
前回のロンドン五輪のとき、あるテレビ番組でパラリンピックの何百メートル競走だかの実況を放映してました。そのときの司会者が、 懸命に車椅子をこぐ出場者たちに向かって、「頑張れ、頑張れ」と声援を送っていました。
わたしは白けた気分になりました。ふつうのアスリートの競走にくらべて車椅子レースは見ていてシンドイ。一流のランナーが走る姿は 美しくて躍動感にあふれていますが、車椅子レースは見るからに苦し気です。

無邪気に声援を送る心境になれないまま、わたしはその司会者に鼻もちならぬ偽善を感じたのです。いくらテレビカメラの前とはいえ、よくもまあ、心にもない声援ができるもんだとツバを吐きたい 心境でした。

身障者のアスリートにわたしは否定的だったのです。どうせいくら努力しても健常なアスリートとは勝負にならんだろう。だったら健常者と互角に勝負できる、たとえば囲碁、将棋、麻雀なんかで実力を競えばよいのに、と思っていました。車椅子のレースをすなおに応援で きなかったのはそのせいです。
ところが佐藤真海さんのプレゼンをテレビで見て、心が洗われる思いでした。佐藤さんは早大時代チアリーダーだったのですが、骨肉腫で右足のひざ下を切断、義足をつける身になりました。もうチアリーダーどころでない、苦難の人生を送ることになったのです。
最初はむろん絶望しましたが、やがてスポーツへの意欲が回復し義足をつけて走り幅跳びの練習をはじめたのです。スポーツによって彼 女は生きる元気をとり戻し、練習によって成長の実感を回復しました。日本代表となり、パラリンピックに2度出場、入賞はできなかったが 希望に満ちた人生を獲得したのです。
わたしはいままで身障者のアスリートの気持が理解できませんでした。もともとスポーツマン、ウーマンだった人たちが傷ついてから練習を再開、おそらく一般人以上の生命感、躍動感を獲得していたとは想像できなかったのです。
スポーツをやると全身の細胞が活気づいて、心が積極的になります。どんなに気持が落ち込んでいても、練習を始めると心身とも否応な しに生き生きしてきて、希望がよみがえります。義足は馴れるまで接合部に激痛が走るそうですが、佐藤さんの場合、スポーツをやるよろ こびによって苦痛をねじ伏せたのでしょう。彼女の練習ぶりがビデオで紹介されていました。助走から義足の右足で踏み切り、一般の一流選手と変わらぬ美しいフォームで跳んで着地するのを見て、わたしは目からウロコが落ちたのです。。
身障者の選手たちはメダルのためよりも、人生を肯定できるよろこびのために苦しい練習に耐えるのだな、とさとりました。彼らは結果ではなく進歩向上の実感を求めて練習にはげんでいるのです。そう思ってみるとパラリンピックの苦しげなレースにも、引き込まれてすなおに声援を送りたくなります。
佐藤さんは気仙沼の出身。傷ついた自分がスポーツで立ち直ったように、被災地はオリンピックでしっかりと元気づくだろうとのスピー チはIOC委員たちを感動させたに違いありません。東京誘致に貢献したのはもちろん、彼女の最大の功績はパラリンピックの意味を一般人にも認識させたことではないでしょうか。ほんとに感じの良いプレゼンでした。
五輪ムードに刺激されてわたしも久しぶりでスポーツ心を刺激されました。まだ若い、と錯覚したのです。だが、現実をかえりみてガクゼンとしました。寝そべっていて起きるのもヨッコラショ、階段を上るのもエイコラサ、膝と腰に慢性の痛みがあり、100メートルの全力疾走さえおぼつかない現状です。パラリンピックの予選にも出られないのです。還暦すぎまで野球をやったけど、いまやスポーツは遠く なりにけり。佐藤さんの言葉「失ったものよりも、いまあるものが貴重」を支えに、せめて犬をつれて散歩でもしますか。小走りをとりま ぜて。