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2016年4月12日 2:11 AM

懐かしのギャンブル体験

バドミントンの日本代表選手らが裏カジノで現金勝負をしていたとかで問題に
なっています。男子シングルス世界2位の選手がこれでリオ五輪の出場不能となり、ロンドン五輪日本代表の選手は1000万円負けて同僚に500万円の
借金があるということです。2人の所属したNTT東日本の選手8名中6名が
裏カジノに出入りしていたという話で、日本リーグ優勝18回の名門NTTの
バドミントン部も解散か廃部か、きびしい処分が予想されます。
さきに巨人軍の4選手が野球賭博関与で処分を受けましたが、あのときわたし
が衝撃を受けたのは4選手の想像力のなさでした。野球賭博が蔓延すると、かならず八百長をやる選手が出てきます。八百長の試合などだれも見にゆきません。そうなるとプロ野球の観客は減りプロ野球は事業として成り立たなくなり
ます。自分たちに高給をあたえてくれるプロ野球を壊すような行為になぜ加担するのか。そのあたりに4選手は思いがおよばず、ただ「禁止されている悪事」としてイタズラしていたようです。
想像力のないアホな選手を所属させた罪は大きい。球団はそんな教育もできていないのかと、大いにシラけた気分でした。
それとはかなり事情が違うようですが、バドミントン選手でも相当なゼニが入る
時代になったのかと背筋がさむくなります。
わたしも一時期競馬にハマっていました。10年に及ぶサラリーマン生活の後半
だったと思います。サラリーマンという稼業は毎月の月給が一定です。遮二無二働いたところで収入が増えるわけではありません。おまけに毎日きちんと出勤し夕刻までオフィスに拘束されます。貧乏と不自由。両方に耐えてわたしは暮していました。暗澹たる日々でした。
田村さんという先輩がいました。裕福な造り酒屋の息子で旧制一高,東大心理学出の秀才でした。野坂昭如さんと並んでわたしの人生の師と呼ぶべき人でした。
この田村さんからわたしは競馬を教わりました。当時まだTVはなく、田村さんは東京の下宿でラジオの競馬中継を聴いて、当たったの外れたのと騒いでいました。
オモロそうなのでわたしは関西へ帰り、淀競馬場へ生れて初めて足を運びました。そしてこんなオモロイものはないと競馬に熱中したのです。

競馬では理論的には持ち金が10倍にも20倍にもなります。馬券が的中すればの話ですが、競馬場にいる限りもうわたしは貧乏な月給とりではありません。そして競馬場は広々とした美しい草原です。そこを美しいサラブレッドたちが疾走する。毎日コンクリートづくしのビル街へ出勤し、夕刻まで拘束されるわたしにとっては、競馬場は理想の別世界でした。馬券が的中したら、もう怖い者なし。わたしは金持ちの自由人として街を闊歩できたのです。

当時わたしは女子大生だった現在の妻と付き合っていました。初めてのデートが淀競馬場でした。前夜わたしは寝る時間を削って予想紙を検討したのに当日はさっぱりダメ。しかし妻はパドックで出走馬を見ただけで中穴馬券を2レースつづけて的中させ、女のカンの凄さをわたしに示したのです。

以後2人で競馬場に通いました。運には2人とも自信があったのですが、しだいに負けて質屋も古本屋も通えなくなりました。そのころ幸い私の小説が売れ始めて、未練なく競馬から撤退できたのです。頑張れば頑張るほどゼニの入る仕事ですからね。

巨人軍の4選手もバドミントンの日本代表もわたしとは違う動機でギャンブルに

ハマったようです。競馬、競輪など公営ギャンブルでやめておけばよかったのに。彼らの才能のために惜しまれてなりません。

わたしは還暦過ぎまで草野球チームをもっていました。監督兼選手として自分では活躍したつもりです。いつだったか競馬の騎手のチームと試合することになり、栗東の競馬村へ遠征しました。試合はどちらが勝ったかわすれたけど、試合後すすめられて入ったサウナの場面はしっかり覚えています。

サウナへ入ると、体重調節の必要ある騎手たちが裸でひな壇にならんでいました。全員タオルで隠したりせず,堂々と男の物をさらして温まっていました。彼らの前を通ってわたしはハツとしてタオルで下腹部をおおいました。騎手たちは全員が巨根揃いだったのです。

大相撲の力士たちは短小揃いだという話をよくききます。体はデカイのに男の物は標準サイズ。体との比較で短小に見えるのです。反対に騎手は小柄揃い。しかし男の物は標準サイズ。体との比較で巨根に見えるのです。

競馬に関して一番記憶に残っているのはこのサウナの話です。試合後で良かった。試合前にサウナに入ったらわがチームはコールド負けしたにきまっています。しかしわがほうにも「膨張係数では負けん」と豪語していた傑物もいました。

騎手代表と一戦させたいとことだけど、傑物も寄る年波には勝てず膨張係数はゼロになったのと違うかな。