mv

2011年8月18日 2:32 PM

戦争体験

(原爆ドーム)

八月の中旬になると、われわれ昭和ヒトケタ生まれ以上の世代は否応なしに戦争の記憶を呼び起こされます。NHKなどのメディアも戦争関連の材料を多く扱うようになる。
あの時分わたしは秋田の農村に疎開していました。8月7日は秋田市のいとこの家へ遊びに行き、新屋浜で数年ぶりに海水浴を楽しんでご機嫌でいとこの家に帰りました。15時30分のニュースで大本営発表をきき、子供心に暗澹とした気持ちになりました。
「1.昨8月6日、広島市はB29数機の攻撃により、相当の被害を生じたり」
「2.敵は新型爆弾を使用せし模様なるも、詳細は目下調査中なり」
東京、大阪大空襲のさいもこんな不景気な発表はありませんでした。敵機撃墜××機、我が方の損害軽微、が決まり文句だったのです。
新型爆弾というのが原子爆弾だとは知らなかったけど、未曾有の大被害が出たのは察知できました。日本はこのさきどうなるのか。大人は皆殺しにされるのか。心配でならなかったものです。
そ の3日後ソ連が満州に侵攻し、15日正午には天皇の放送があって日本は降伏しました。わたしは自宅近くの川へ遊びにゆき、午後1時すぎに帰宅して一時間前 に「玉音放送」があったのを知らされ、呆然となりました。日本は米軍に占領され、大人は殺されたり、奴隷にされたりるのだろうか。京都にいる父はどうなる のか。心配で胸が疼きました。だが、夜に灯火管制が解除され、家中の電灯が戦前と同じようにともされたとき、平和のありがたさがしみ実感されたものです。
だが、わたしの終戦体験などはゴミのようなもの。敗戦66年目のこの夏、テレビの終戦番組に出てくる高齢者たちは口々に戦争の悲惨を訴えます。
沖縄、広島、長崎の羅災者、被爆者は高齢だけにとくに痛々しい。
「戦争は絶対に繰り返してはなりません。大勢の人々がわたしたちの目の前で黒焦げになって死んだのです。まさしく地獄です」
「あんなことは二度とあってはならない。若い人たちに語り継いでゆくのが私たちのつとめです。戦争は絶滅せねばならない」
「前途ある若者たちが問答無用で前線へかりだされて死んだ。銃後の私たちも家族を失い、家を焼かれ飢えに苦しんだ。戦争は最大の悪です。思い出すのさえ大きな苦しみです」
体 験者は語り、ききいる若者たちはもらい泣きします。夏がくるたびに繰り返される光景です。羅災者、被爆者の言葉は重い。だれも反対できずに受け入れます。 ほとんどの日本人が敗戦により大なり小なり被害をうけたのですから、戦争はいやだ、まっぴらだというのは国民的合意事項となりました。日本を占領したアメ リカ軍のマッカーサー司令部は日本人のこの厭戦気分を利用して、彼らの目的である日本の民主化と無力化(非軍事国家化)を推進したわけです。
アメ リカは天皇制の存続と引き換えに戦争放棄をうたった憲法を日本政府に受け入れさせました。国民もむしろよろこんで軍備を廃止し安全保障ををアメリカまかせ にしたのです。のちにアメリカは日本に再軍備を要請しますが。日本はこれを断って「戦力なき軍隊」という珍妙な自衛隊を発足させ、アメリカと日本国民の双 方の顔を立てました。薬がききすぎたとアメリカ政府は苦笑したようですが、日本人はそ知らぬ顔で経済発展にいそしんで繁栄を実現したわけです。
戦 争は悲惨だ、二度と繰り返してはならない。日本人の厭戦感は夏が来るたび再確認されました。わたしたちはそれをヒューマニズムの証しとして自己満足してき ました。しかし、現実はそんな自己満足と反対のほうへ動いていました。日本政府の事なかれ主義につけこんで中国、南北朝鮮、ロシアが日本の権益を侵しにき ていることは周知の事実です。アメリカの国力低下がそれに拍車をかけています。この時期、メディアがかつてのまま厭戦感を駆り立てるだけの番組を流すこと がはたして国益に叶うのだろうか。戦争はいやだという国民の心情が強調されるほど、周辺諸国はつけあがるのではないか。軍事力があらゆる外交の支柱である ことは歴史が物語っています。
戦争がまっぴらなのは日本人全体の心情です。敗戦で得た良識というものです。だが、人間だれしも善意や良識だけで人生がまっとうできないのもまた事実です。生きるためにはいやでも税金を払わなければなりません。
理不尽な国々に囲まれた日本の国民は、厭戦を基本に、トラブルを恐れぬ気迫をもって軍事力を含む国力の充実にはげむべきでしょう。
「あやまちは二度とくり返しません」こそ、もう繰り返して欲しくないフレーズなのです。