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2014年3月11日 3:49 AM

日本の偽ベートーヴェン

この2~3日、「全聾の大作曲家」の顔をテレビで何度も見せつけられて閉口
しました。長髪、サングラスの変装をやめてさらけ出された素顔は、ツルンとし
て、罪の意識もなく、なんだか不平そうな50男の顔でした。
佐村河内守という名をわたしも河内守と誤読し、楠正成を連想したりしていたの
です。鎌倉幕府を滅ぼし、天皇親政の世を造った功績により、正成は河内守に任
じられました。しかし、いまどき変った名前だなあ、ペンネームかしらと思って
いたのですが、「全聾の作曲家」を気取るのには丁度良い名前だったかもしれま
せん。
周知のように彼は新垣隆なる作曲家と組んで過去18年にわたり自作と偽って交
響曲「ヒロシマ」などを発表し、「日本のベートーヴェン」を装ってきました。
ベートーヴェンは晩年耳が聞こえなくなりました。高音はきこえたという説もあ
りますが、難聴なのはたしかでした。「第九」の初演では指揮をとったものの曲
が終っても聴衆の大喝采に気づかず、茫然と立っているだけでした。オーケスト
ラさと合唱団に向かい合い、聴衆に背を向けていたので気づかなかったのです。
歌手の一人にうしろを向かされ、やっと大成功を知りました。有名な伝説です。
じっさい、健常者は全聾の作曲家ときいて大いに興味にかられます。健常者でも
できない作曲という作業を全聾の人がやってのけた。いったいどんな曲なのだろう。か。CCDを買って聴いてみたくなります。交響曲「ヒロシマ」は18万枚売れたそうです。

健常者である新垣氏はまともに曲を作ってもなかなか売れません。全聾の佐村河
内が造ったことにすれば18万枚。両者の利害は一致します。
身体障碍者のピアニストなどがもてはやされた例はほかにもあります。健常者が世

に認められるのは容易なことではないが、身障者はプラスアルファが加味されま

す。わたしは身障者なら聴覚や視覚の不備を埋め合わせるために通常にはない感
覚が発達すると思うので、珍重はするけど、そんなに尊敬する気はありません。
記者会見を見たかぎりでは佐村河内なる男は態度がデカかった。天才作曲家扱い
されるうちに、自分は本物の天才だと錯覚するようになったのでしょう。周りの者や
被災地の子供にずいぶんとエラソーにしたようです。
挙句の果て新垣氏を名誉棄損で告訴するとヌカしていました。詐欺師にどんな名
誉があると思っているのですかね。三年前から聴覚がすこし回復したなどといっ
ていましたが、信じる者はいないでしょう。
音楽にしろ文芸にしろ、評価の高い作品を仕上げるのは大変な苦労です。七転八
倒して工夫をこらしても、正当と作者が思える評価を得るのはむずかしい。それ
でもわたしたちは創作を繰り返します。苦労のうちに視野が広がったり、見識が
深まったり、要するに人間的に成長できるというよろこびがあるかです。
佐村河内は創作の苦労も知らず、人間的成長もないまま、天才を装って金と名声
を手中にしていました。人間の屑です。詐欺のうちでももっとも気恥ずかしい、破
廉恥な行為というべきです。
ただ一つ共感できるのは音楽が好きだという点です。むかし怪しげなバンドをや
っていたということでした。4歳でピアノを習い始めたと自伝にあるらしいけど
、じつはピアノがあるような家ではなかったようです。もしほんとうに4歳からピ
アノを始め、そこそこ音符の読み書きができるようになっていたら、こんなにつ
まらない男になっていなかったのかもしれません。
わたしもピアノのない家に生まれました。音楽が好きです。ろくに楽譜も読めな
いままなにか楽器がやりたくて50の手習いでオーボェを習い始めたことがあり
ます。数年間習ったのですが、入れ歯になって挫折しました。木菅にかぎらず、
管楽器奏者には歯が生命線なのだそうです。
仕方なく声楽を始めました。多少声に自信があったので音大の声楽科出の女性数
人からレッスンを受けていました。だが、これも体力に限界を感じて挫折。先日
久しぶりで北新地の音楽バーへゆき、G.ムスタキのシャンソンを歌ったのです
が、全然声が出なくなって絶望しました。喘息の薬でのどをやられたようです。
「あの薬を使うと低音から始まって高音も出なくなりますよ」
と東京芸大声楽家出の女性が教えてくれました。
もう音楽は絶望のようです。佐村河内のように身体障害の天才を気取って音楽界
にデビューする方法はないかと妄想しました。
身体障害といっても、いまから怖いのは認知症です。認知症のバリトン歌手なん
ていうのは、とても「日本のベートーヴェン」のように長続きしないでしょう。
いや、それよりは認知症の作家のほうが良さそうです。ボケた作家の書く小説なん

てどんなもんかと世間の人の関心を買って、もしかしたら18万部も売れるかもしれま
せんぜ。