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2011年9月30日 2:37 PM

書道の稽古

週に一度、京都へ書道の稽古にいっています。
 六、七年まえ書家、森鵬父氏の門下に加わり、さっぱり上手くならないけど、12月初めの一門の書展には恐縮しつつ出品しています。
 森氏は京都北白川小学校でわたしの同級生。少年時代から書にはげみ、教員生活を高校の校長で終えて書家になった傑物です。叙勲者であり、関西有数の書家であって、まだまだ現役。朝日カルチャー教室でも指導しています。
  わたしが書を始めた理由は、若いころ田舎で「なにか書いてくれ」といわれて恥をかいたことが何度かあったほか、ヨーロッパ文化にハマッて日本の伝統文化に まったく無知な自分を反省するところがあったからです。じっさい大学で仏文などやらずに国文にするべきだったと年をとるにつれ残念に思うようになりまし た。せめて年賀状くらい毛筆で書けるようにないたいと一念発起したわけです。
 だが、基礎のできていない悲しさ。毎日一時間 でも稽古すれば上達するのでしょうが、家ではほとんど筆をもつ余裕がなく、年月がたってもいまだに臨書(師匠の手本を見て書く)の段階。稽古のあと師匠や 兄弟子、姉弟子たちと居酒屋へいくほうが目的と化するようでは上達はおぼつかないのです。
 旧制中学時代書道を選択したのですが、 ワルガキが習字に身をいれるわけもなかった。当時一年でつぶれた国民リーグというプロ野球のチームがドサ回りで遠征してきて中学のグラウンドで試合したこ とがありました。ちょうど習字の時間中にプレイボールとなり、わたしたちは習字どころでなく、一人二人と窓からぬけだして試合を見に行ったのでものです。 書道の先生は当時から見ればおじいさんで、アメリカ崇拝の時流のなかでは野暮ったくて貧乏くさかった。みんなサボるために書道を選択していたようなもので す。いま習字がさっぱり上達しないのはきっとあのころのタタリかもしれない。ともかく私の同級生のなかから著名な書家が出るなんて、秋田の田舎では考えら れなかった。京都にはやはり伝統文化にたいする畏敬の念があったのでしょう。
 わたしには書の鑑賞力などないも同然です。それでも 師匠の森鵬父くんの作品を見ると絶望的な格の違いを感じます。彼の字にはなんというのか深みがあり、味わいがあります。彼の人生と社会の状況が混じりあっ て一度凝縮し、あらためて四方へ発散したような筆勢、筆触といえばよいのだろうか。その前にじっと立って書と問答をしたい衝動にかられます。この道一筋と いうのはやはり大変なものです。森氏の作品を見ていると、「おれにも多少は書という芸術がわかる」という気分になるから不思議なのです。
  習字をやるときと原稿を書くときはどちらも意識を集中させる必要があります。だが、原稿書きときの集中度は100%、習字のときのそれは50%という違い があります。原稿書きは集中一筋でよいのですが、習字は運動神経を働かさなくてはならない。50%はそのための余裕というものです。
  じっさい思い通りに筆を運ぶのはむずかしい。書いたあと、こんなはずじゃなかっのに、と思わされることしばしばです。とくに年取ると慨嘆させられます。自 分の手がこんなに自分のいうことをきかないとは信じられない。軽めの身障者の気分になります。もしも年々これが稽古によって改善されるなら、習字は老化防 止にきわめて効果的だといえそうでうす。。この道何十年の兄弟子、姉弟子のみなさんは確実に年齢より若く見えるからそう思ってよいのでしょう。。
  いまはパソコンの時代です。今日もIT関連企業の人から電子書籍についての知識をいろいろ吸収させてもらいました。難しくて複雑で目が回ります。そのあと 書の素材である万葉集を読んで感慨にひたりました。。現代のびっくりするような変化と、200年変わりない古代の感情。往復するだけで忙しく大変だけど、 自発的な忙しさだから、張り合いがあります。
 先日テレビでどこやらの街の健友会館なる施設を紹介していました。最近ゲームセン ターやネットカフェに通う老人が多いとかで、そういう老人のためにつくられた施設だそうです。なかにカラオケボックス、囲碁、将棋、麻雀などの用意があ り、血圧計、AED、ズトレスチェッカー、マッサージ機などがおいてあるそうな。利用者は増加しているようです。けど、書道をやる人はいないのだろうか。 老人は若い層からパソコンを教わり若者は老人から書を教わる。共存の道だと思うのだけど。