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2011年6月3日 2:17 PM

横書き文化

ブログ開設にあたって最初にぶつかった問題は、縦書きができないことでした。迂闊にもわたしはブログは横書き専用であることを知らなかったのです。そんな不便なものとは思わなかった。
読むのも書くのも横書きは苦手です。とくに読むのがつらい。横書きの文章には流れがありません。。すらすらと流れに乗って読めないし、リズムもとれない。 一字一字たどたどしく拾いあげる感じになります。目が疲れ、頭も痛くなる。書いても横書きは字が乱雑になります。わたしがこれまで熱心に読んだ本はすべて 縦書きだったし、新聞雑誌もぜんぶが縦組みでした。
昨今の若者は横書きに違和感がないのだろうか。パソコンの師であるA君にわたしは訊いてみました。
「全然ありません。小学校以来教科書は国語をのぞいてぜんぶ横書きでしたから」
いわれてわたしはうーんと唸りました。わたしたちも小学校以来、理数系は横書きの教科書を使いました。だが、国語はもちろん修身、歴史、地理は縦書きでし た。中学、高校でも日本史、世界史、人文地理などは縦書きだったはずです。いや、それはわたしの思い違いかもしれない。世界史や人文地理は欧米の人名、地 名が数多く出てくるから、横書きだったかもしれません。
もしそうなら戦後のマッカーサー司令部による教育改革の一環で、日本人の欧米化をはかるため横書きが強要されたのでしょう。
ともかくわたしはブログを始めました。パソコンはアメリカの開発だから横書きも止むを得ないと割り切ったのです。。だが、横書きでちゃんとした「文章」に なるものかどうか最初は不安でした。芸能人などのブログは会話体で文体の心配などしていません。タメ口のもあります。だが、文章でメシを食ってきた以上、 稚拙な文を書くわけにはいかない。個性を出す必要もあります。
気安く読んでもらうため「です、ます」調にしました。たどたどしく横一列に文字を 打ち込んでゆくと、文章に乱れがないか心配になり、ときおり横一線の字列を頭の中で右端を基点に左からまっすぐ立ちあがらせてみて調整しました。それでも 文章のリズムがしばしば狂います。会話の「  」の中など地の文と違う軽さが必要なのですが、横書きでは出しにくい。こんな具合でパソコンで文章を書いて いると、いつのまにか首が右に傾く感じで妙に肩が凝ります。
言語学にわたしは疎いけど、、縦書きを生んだ東洋文化は情緒、情感を重んじる文化です。日本ではそれに「和をもって尊し」となす
農耕文化、共同体文化が加わりました。日本文化の粋である草書には横書きなどありえません。われわれの馴染みつつある横書きが欧米の文明を吸収するための付け焼刃にすぎないことはたしかでしょう。。
これに対して横書きを生んだのは狩猟文化、合理主義、競争主義の西欧文化です。合理主義の根幹である数学、化学、物理学などはいずれも横書きが便利です。欧米の文明の進化は横書きに大きな原因があるのではないでしょうか。
これに対して縦書きは、数学には決定的に不利。中国にも日本にもソロバンはあったけど、和算においては(1÷2=0.5)を「二一天作の五」、(2÷2=1)を「二進一十」などとやっていました。。和算式はすべてが縦書きです。能率において及ぶはずがない。
明治以降、日本は西洋文明をとりいれて大発展しました。しかし、人々の基本的な心情は昔とそんなに変わっていない。今度の大震災では日本人の共同体尊重の 念、助け合いの精神は見事に発揮されました。そして、皮肉なことに原発というもっとも合理的、自立的であるべき施設において、原子力ムラ社会の相互依存の 風土が明らかになりました。
この事実をみてわたしは横書き文化の圧倒的な進出に、大きな不安を感じます。若者はすっかり横書文化に染まっていま す。横書きを苦にしないどころか、便利がっている。ブログにもツイッターにも文とはいえない横書きの駄弁がぐじゃぐじゃとがあふれています。いま孤軍奮闘 している国語教科書もやがて横書きの津波に呑みこまれ、新聞雑誌も同調するるのではないでしょうか。
いや、わたし自身が三ヶ月近くブログに書い てかなり横書きに馴れてきました。これが怖い。ますます横書きは普及するでしょう。これが日本を制覇したら、いつの日が横書きの川端康成や横光利一や三島 由紀夫が出現するのだろうか。とてもそうは思いたくない。。漢字も平仮名も片仮名も縦書きのための文字なのです。そういう意味では活字文化の流入こそ、横 書き文化の下地だったのかもしれません。