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2011年12月23日 2:54 PM

毒物だった金正日

差別が悪であることは十二分に承知しています。。だが、わたしには北朝鮮、韓国にたいする差別感情があります。この精神的な毒の最大の発生源はは金正日総書記だといってよいでしょう。。
  金総書記はよくもまあいろいろやってくれました。大韓航空機爆破事件などのテロ、中東諸国へのミサイル輸出、核開発、ニセ札の発行、麻薬の輸出、それに拉 致事件。とくに拉致事件は日本人の琴線にふれる残酷きわまりない蛮行です。ミサイルの標的を日本において恫喝してきたこともありました。
  いま金正日が死んで北朝鮮の国民が嘆き悲しむ映像がさかんに流されます。「偉大なる首領様がおかくれになった」と口々にいいます。あれを見るとなんとも複 雑な気分になります。わたしが子供のころは天皇陛下が絶対の存在でした。天皇は金総書記に近いくらい神格化されていたわけです。。
 いまの北朝鮮の国民を見てアホと笑い切れないわだかまりがあります。それが彼らに対する嫌悪につながっている。
 思い出すのは小学校二年のとき、クラスに朴基孝クンという子がいました。ある日担任の女教師があらたまって
「今日から朴クンは新井孝一クンになりました。おめでとう」
  きいてわたしたちは一斉に拍手しました。ほんとうに祝福の気持ちでした。当時朝鮮は日本の領土で、わたしたちは朴クンを蔑視したことはまったくなかった。 ただ名前が日本風でないのを不自然に感じていただけです。創氏改名はその不自然を正したわけで、おめでたいことでしかなかったのです。新井クンも喜んでい ました。
 3,4年生のときクラスに木村クン{名前は失念)という生徒がいました。わたしとは仲良しだった。ある日木村クンの家へ遊びに行きました。北白川と一乗寺の境目あたりで、当時は畑の中に住宅がぽつりぽつり建っているの地域でした。
  木村クンの家があまりに貧しいのにびっくりしました。母親がチョゴリを着ているので、初めて木村クンが朝鮮人だったのに気づきました。さきの新井クンと 違ってすでに改名していたのです。でも、なんとも思わなかった。ああそうなのかと思っただけです。しかし家へ帰って木村クンが朝鮮人だったころを母親に告 げると、
「遊びにいくのはやめなさい」
 と母親はいいました。そういえば木村クンの母親もわたしを歓迎しない面持ちでした。大人たちの同化共存は難しかったようです。
 そういえば新井クンの父親は便所の汲み取り業だったし、木村クンの母親は屑屋をしていました。両者とも貧しかった。同級生にはまったく違和感がなかったけど、彼らの貧しさと家業によって知らず知らず差別感情が育まれたようです。
 敗戦で彼我の立場は逆転しました。わたしのいた秋田では朝鮮人を見かけなかったけど、大坂、神戸、京都では「第三国人」は闇市などでブイブイいわせていたらしい。これまでの差別のお返しとばかり威張られて
「畜生。日本はおまえらに負けたんやないぞ」
 という感情を抱いた人は多かったようです。。
  わたしたちは人権教育のおかげで差別の悪を知りました。。朝鮮や中国にたいして対等の友好関係でのぞむつもりでいました。ところが先方はそうでもなかっ た。なかでも北朝鮮、韓国の「恨」はそんな生易しいものではなかった。先頭に立ったのは金正日でした。善意をもって接しようとしても向こうは「歴史認識」 を言い立てます。北朝鮮はもちろん、同じ西側に属する韓国までが、反日感情を国内統治に利用します。竹島だの従軍慰安婦だのと史実にもとずかないイチャモ ンをつけてきます。日本の朝鮮併合はなにも朝鮮人民の支配が目的ではなく、ロシアや中国の脅威にそなえるのが主目的だったのだが、そんなことは向こうの念 頭にありません。
 わたしは自分の差別感情を悪と見なし、かつての木村クンを基準に北朝鮮や韓国の人に接したいと思っています。その殊勝な気持ちに水をぶっかけてくるのが金正日でした。彼は足尾鉱山の鉱毒のようにわたしの意識を内部から腐らせる存在でした。
 だが、彼は死にました。嘆き悲しむ北朝鮮の国民を見てなんとも複雑な気分になりますが、たかだか60余年前、わたしたちも「万邦無比の神である天皇」をいただいていたわけです。同様の意識の変化が北朝鮮に及ぶのを期待せざるを得ません。
 天皇といえば今日23日は天皇78歳のお誕生日。大震災と原発事故に襲われたわが国民に寄せる真摯な感想文を発表されています。同じ昭和8年生まれのわたしとしては、格別に感慨深いものがあります。人間天皇のご長命をお祈りします。