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2012年12月11日 3:07 AM

浮世のバカは起きて働け

昨日まで風邪で2日ばかり寝込んでいました。ぼんやりテレビを見ていると、選挙戦はいまがたけなわ。血眼になって絶叫する政治家を見ていると、狂歌を一つ思いだしました。
世の中に寝るより楽はなきものを
浮世のバカは起きて働く
風邪で寝こむと全身が無気力になって週刊誌を読むのさえ面倒になります。ボケッとテレビを見るしかありません。活字を読むよりも映像を見るほうがラクチンだから活字文化は衰退するのだと深く納得しました。
それにしても昼間から寝るのはたしかに極楽です。寒風の中、必死になって演説する人々を見ながら寝ていると、極楽感は深まります。風邪があまり酷くないのを幸い、いろんなことを思い出しました。
サラリーマン時代、なによりも辛かったのは、毎朝目覚まし時計に叩き起こされることでした。眠くてしんどくて、人生を呪いながら寝床から這い出したものです。
わたしは20代の後半からサラリーマン生活に嫌気がさし、同人雑誌に加わって小説の修行をしていました。なんとかして筆一本でメシが喰えるようになりたかったのです。
毎日午後7時から8時の間に夕食、1時間ばかり仮眠をとり、起きだして金にもならぬ原稿を書いていました。城東区茨田諸口の文化住宅の三畳間が仕事場でした。夏になると裏の田圃で食用カエルがヴォーッ、ヴォーッと鳴いていたものです。牛の牧場みたいだなと妻と語りあいました。
寝るのは午前2時~3時でした。朝は8時前に起きねばならないから、眠いのなんの、バスや地下鉄で会社へたどりつき、椅子に腰掛けたとたんアクビが出る有様でした。なんとか一日の勤めを終え、同僚の誘いを断って帰宅し、毎晩机に向かったのです。
慢性の睡眠不足。顔色がわるく病人みたいでした。会議ではアクビを噛み殺すのに苦労したものです。よく勤まったものだといまでも感心するのです。
当時は土曜日が休みでなかったので、ゆっくり朝寝できるのは日曜日のみでした。城山三郎に定年後のわびしさを書いた[毎日が日曜日」という小説があったけど、羨ましい身分だとしか思えなかったのです。開高健の「青い月曜日」には大いに共感しました。月曜日の朝、やれやれ今週も会社勤めか、という嘆き節からきたタイトルだったのです。
34歳のとき、なんとか小説で芽が出そうになって会社をやめ、朝寝できる身分になりました。でも、次はなにを書くかの思案で頭が一杯で、朝寝の極楽感を味わう余裕もなかったのです。
一人前のもの書きになってからもサラリーマン時代と同様、夕食後仮眠、朝まで仕事という日課は崩しませんでした。むかしは午前8時前に起きなければならなかったが、フリーの身になるといつまで寝ていようと勝手です。夜の明けるまで仕事ができます。起床は午前11時~12時。昼夜逆転の生活ですが、それなりに規則正しいので、健康上の問題はありません。なんとか今日まで生き延びました。
「浮世のバカは起きて働け」 狂歌に共感しながらテレビを見ていると、選挙関連番組
が終り、CMが流れました。そのとたん何とも言えぬ寂寥感にわたしはかられました。
この狂歌は失業者の負け惜しみではないかと気づいたのです。
もうわたしはむかしのように注文に追われる身ではありません。半分失業者のようなものです。だからこそ狂歌の負け惜しみがぴったりきたのです。辛くてもしんどくても仕事に追われあくせく暮らすほうが、どれだけ充実感があるかわかりません。
老人は無為によってますます老けます。無為は老人の最大の敵です。斜にかまえて第一線の人々を「浮世のバカ」と冷笑するぐらいしか救いがなくなるのです。
わたしの父は京都府の役人だったけど、終戦後辞めて田舎へ帰りました。そして激変する世の中に適応できず、酒に逃れてアル中になりました。
そんな父をわたしはバカにしていましたが、いまは他人事でなく共感できます。わたしの父は東京帝大出で高文合格者でした。それなりのプライドをもっていたようです。田舎には父にふさわしい仕事がなく、半失業者の悲哀に浸るより仕様がなかったのです。
村人たちは父のことを「学校ばかり出たって何もならねえ」といっていました。その声にわたしも同調していたのです。だが、いまはトシのせいで父の悲哀がわかるようになりました。
「浮世のバカ」に似たような狂歌はないかと「ことわざ大辞典」を繰ってみると、つぎの歌が目にとまりました。
世の中は食うて糞して寝て起きて
さてそのあとは死ぬるばかりよ
なんとも凄絶なニヒリズムです。半失業のわたしもここまでは悟れないし、悟りたいとも思いません。朝寝自由の利を生かして、せいぜい物書き業にはげむしかないのです。[寝るより楽はなきものを」にときおり共感しながら。