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2012年9月11日

猫がないていた(12)

――思い出話を終えて、大二郎はほほえんで初枝をみつめました。

初枝はじっと大二郎に抱かれた子猫をみつめています。

「もうお察しのことだろうが、初枝どのにもぜひ二代目のユキを差しあげようと思いましてな。この子、育ててやってください。気がまぎれておまえさんもきっと元気になる」

大二郎は子猫を差し出しました。

「いいえ、困ります。私にはユキだけしか可愛くないので」

のけぞって初枝はしりぞきます。

「そういわずに腹を決めなさい。ほら、ユキの二代目です。生まれ変わったんだ。頭のなかのユキはいなくなった」

大二郎は腰をうかせて、初枝のひざに子猫を乗せてやりました。

子猫はひざから滑り落ちます。懸命に這いあがろうとしてもがきながら甘い声で鳴きました。

思わず初枝は子猫を抱きあげます。じっと子猫をみつめる目がしだいにうるんできました。

化け猫の霊にとり憑(つ)かれた顔におだやかな色合いがもどっています。この分だとほほえみも期待できそうです。

「つらかっただろう初枝どの。気鬱はほんとうに苦しいからな。死にたくなるのだ。おれは残虐な仇討ちを思い描いて気力をとりもどしたが」

「ありがとうございます。大町さまだけでございます。私の気持をわかってくださいますおかたは」

「おまえさんはどんな仇討ちを思い描いたか聞かせてくれ。相手はだれだった。ユキに手をかけた仙吉か。それとも三河屋のおかみか」

「――」

初枝はうつむいてだまりこんでしまいました。

しばらく待ったが、反応はありません。

大二郎は懐中から一通の封書をとりだしました。

夜明け島に万世橋南詰めでの興行を依頼する手紙です。美しい草書で仕上げられた文でした。

「これはおまえさんが書いたんだろう。寺子屋にはおまえさんが書いた手本が何冊もおいてある。手蹟を比べてみてわかった」

「――」

初枝は息を呑んだ気配です。

子猫を抱きしめて、目を大きくして大二郎をみつめました。

「三河屋へ投げこまれた脅しの手紙も、おまえさんが左手で書いたものなんだろう。おれはいささか書(しょ)の心得がある。手蹟の見分けには自信があるのだ」

さとすように大二郎はいいました。

初枝は答えません。ひざの上の子猫が二度,三度と鳴いて甘えます。

「目明かしどもはまさか猫の仇討ちに人の子を殺しはすまいと見ている。しかし、おれはそう思わぬ。人付き合いのへたな者は、生き物を子供のように可愛がる。だから生き物が死ぬと子供を亡くしたように落胆するのだ。ユキが殺されたのは、おまえさんにとって子供を殺されたも同然だった」

「――」

「子供が殺されたらだれだって仇討ちを考えるよ。おまえさんの頭にあったのは、じかに手をくだした仙吉か、始末しろと命じた三河屋の内儀のはずだ。ところが死んだのは種太郎だった。おれはそれが腑に落ちない。なぜ種太郎は狙われたのかな」

大二郎は口をつぐんで初枝をみつめました。

子猫を抱いて初枝はふるえはじめました。まるで急な高熱におそわれたような激しい胴震いです。なにかいおうとしてくちびるを動かすのですが、言葉が出てこないらしい。

「どうなんだ。わけを話してくれないか」

やさしく大二郎は問いかけました。

だが、初枝は蒼白になってふるえるだけです。

重い罪を犯した者が追い詰められて白状する寸前しばしばこれと同じように言葉を失います。重罪を白状することは、みずから死をまねくことです。あきらめて張りをなくしていないかぎり、凄まじい努力が必要なのです。

「わかったよ。むりに話さなくてもよい。だが、おれも役目柄、調べを打ち切るわけにはいかない。あとでことの顛末(てんまつ)を書面にして奉行所へとどけてくれ。そうすればおまえさんは生き恥をさらさずに済む。おれも手間がはぶけるってわけだ」

いってから大二郎は腰をあげた。

「わかりました。かならず、かならず」

ふるえながら初枝は頭をさげました。

子猫が苦しがって畳に這いだします。大二郎は両手で子猫をすくいあげて初枝に手渡してやりました。

受けとって初枝は子猫の首をなでながら大二郎を見送りました。まだ蒼白ですが、憑きものが落ちたおだやかな表情になっています。