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2012年9月10日

猫が鳴いていた(11)

大二郎は思い出話をはじめました。

七歳のとき、父が知人から紀州犬の雄の子犬をもらってきました。

ケンスケと名づけて大二郎は可愛がりました。

毎日いっしょに堀端を駆けまわったり、神社の境内で遊んだりしました。ヤキイモや甘栗を買って分けあって食べるのが楽しみでした。

遠出するときは良い用心棒になります。大二郎は無口で友達がすくなかったのですが、ケンスケがいるので不足を感じたことはありません。

しかし大二郎が十二のとき、ケンスケは何者かに弓で射られて死んでしまいました。いつも自宅の塀のなかで放し飼いにしていたのだが、たずねてきた下っ引が木戸門をしめわすれたので、外へ飛びだしてしまったのでです。

ケンスケは亀島川の河岸へ出ました。運わるく弓矢をたずさえた少年たち十数名が、水鳥を射て遊んでいたのです。

ケンスケは格好の標的になりました。たちまち三本の矢が突き刺さって絶命したのです。少年たちはけんスケの死骸を投げ出して、去ってゆきました。

大二郎はケンスケをさがしにゆき、死骸を背負って泣きながら家へかえりました。

仇を討たねばなりません。八方駆けまわって見届け人〈目撃者〉をさがしました。だが、半月たっても手掛かりはありません。悔し涙にくれて日を送ったのです。

大二郎は気鬱になりました。ケンスケを思いだすたびに泣いてしまいます。夜中、鳴き声をきいた気がして飛び起きたり、ケンスケが飛びついてくる夢を見て泣いたりしました。

元気がなくなって塾も道場も休みがちです。いまの初枝とそっくりな状態だったのです。

夜中、大二郎は悲しみに打ち勝とうとして、愛犬を殺した相手に残虐な復讐をする場面を思い描くようになりました。捕えた下手人を木に縛りつけ、短刀でその少年ののどを掻き切るのです。

右から左へ、左から右へ何度も短刀で切り裂きます。そのたびに少年は悲鳴をあげ、傷口から赤い血が噴き出るのです。

「ケンスケの仇、思い知ったか。それ泣き叫べ。泣き叫べ」

飽きずに大二郎は短刀をふるいます。

やがて下手人は頭をたれてぐったりとするのですが、大二郎は復讐をやめません。最後は大刀をふるって下手人の頭を切り落としてしまいます。

「ざまあ見やがれ。地獄へ落ちろ」

下手人の首を蹴っ飛ばしてようやく大二郎は満ち足りた眠りに落ちてゆくのです。

だが、朝目がさめると、ケンスケはいません。、救いのない一日にいやでも向き合うことになります。

そんなある日、大二郎は父に呼ばれて玄関へ出ました。父は白い紀州犬の子犬を抱いて玄関わきの犬小屋のそばに立っています。

「この子は二代目のケンスケだ。可愛がってやれよ」

父にいわれて大二郎は反発しました。

「いやです。私が好きなのはケンスケだけです。そんな犬ほしくありません」

べつの犬を可愛がったらケンスケに悪いような気がしていました。

すると父は子犬を抱いて玄関に入り、大二郎のならんで上がりかまちに腰をおろしました。

「犬は人にくらべて寿命が短いのだ。まして世の中には犬嫌いな者も大勢いる。いつケンスケのような目にあうか知れたものではない。犬を飼う以上、その覚悟はしておかねがならぬぞ」

ほほえんで父はいいきかせました。

「でも父上、私はケンスケがわすれられないのです。ほんとに仲良しだったから」

「この子犬を可愛がってやりなさい。気がまぎれる。ケンスケを思いだしても涙が流れなくなるよ」

「代わりの犬を可愛がってはケンスケに悪いと思います。友を裏切りたくありません」

きいて父親は苦笑して、抱いている子犬のあごをなでました。

「おまえがケンスケにこだわるのは、自分自身を情け深い人間だと思いたいからさ。しかし、人はやさしさだけでは生きてゆけないぞ。冷たい人間にならねばならぬときもある。さ、死んだ犬のことはわすれてこの二代目をかわいがってやりなさい」

父は大二郎に子犬を手わたしました。

顔をしかめて大二郎はうけとりました。内心はありがた迷惑です。

「死んだ犬は強い。飼い主によけいなことを考えさせないからな。飼い主の頭は死んだ犬で一杯になる。そして気鬱におちいるのだ。犬の霊に暗い洞窟へ引きずりこまれてしまう。やさしい人間ほどそうなりやすい」

「―――」

「なぜ死んだ犬の霊が飼い主を洞窟に引っぱりこむのかわかるか。死んだ犬は飼い主の頭のなかでしか生きられない。思い出してもらってようやく生命をとりもどすのだ。。だから飼い主にほかのことを考えさせない。自分のことだけ考えてもらいたがる。飼い主の頭の中でできるだけ長生きしようとするのだ」

大二郎の腕のなかで子犬は顔をあげてクウと鳴きました。

あわただしくしっぽを振ります。可愛い。大二郎はふっと嫌悪の気持が消えてゆきました。

「ケンスケは頭の中でいつまでも生かしてやれば良い。でもそれは思い描いたまぼろしのケンスケなのだ。生身のケンスケはこっちなのだぞ。生まれ変ったのだ。可愛がってやれよ」

父にいわれて大二郎はケンスケが初めて家にやってきたときを思いだしました。

この子犬はあのときのケンスケにそっくりです。いや、この子はケンスケなのです。あいつの生まれ変りにちがいありません。

「そうか、おまえはケンスケなのだ。死んでなんかいなかった。帰ってきたんだ。私の頭のなかからぬけだして、帰ってきた」

大二郎は生まれ変った愛犬を抱きしめます。

頭のなかのケンスケはいなくなりました。子犬のぬくもり、重み、息づかい、あわただしく揺れるしっぽ、動く四肢。まぎれもなくケンスケなのです。体に住みついていた気鬱は消えました。生まれ変わったケンスケが食べてしまったのでしょう。