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2012年9月5日

猫が鳴いている(6)

「――屋号は申せませぬが、私は万世橋南詰めのさる大店へ奉公する者でございます。

じつは私どもの女主人が先日浅草でおまえさまの一人相撲をごらんになり、たいそう気にいってしまいわれました。ぜひ、もう一度見たいと申しております。

まことに恐れ入りますが、二十一日の八つ半(午後三時)に万世橋の南の広場で興業なさいますようお願い申しあげます。

ご祝儀の内金として銀一分を同封いたします。当日の興業ののち、さらに五両さしあげる所存でございます。

些少でございますが、お引き受けいだだければ、今後もおりにふれてお呼びしたいと女主人は申しております。

なおこの申し出については、どうかご内聞にお願い申しあげます。あらぬ風評の立つのを女主人はなによりも恐れておりますので。

あらあらかしこ。某女より。

夜明け島さま参る」

筆跡もみごと、文章もよくできています。

大二郎は感心しました。紙から甘い香りが立ちのぼってくるようです。

かなり教養ある女が書いたにちがいありません。

「内聞に、と念を押してあるので口に封をしていました。後生(ごしょう)でございます。大番屋はご勘弁のほどを」

夜明け島はひたいを畳につけて恐れいっています。

ついでいきさつを語りはじめました。

十七、八日のことでした。夕刻、家へ帰ると、表戸の隙間からこの手紙が投げこんであったのです。

一読して夜明け島は小躍り(こおどり)しました。このところ不景気で、銀一枚稼ぐには四、五日かかります。しかも祝儀は五両、今後もたびたび声をかけるというのです。

なによりも大店(おおだな)の女主人が自分にぞっこんだというのがうれしかった。役者買いに飽きた大金持ちの妻が力士を買う話はよく聞きますが、一人相撲にもこうして声がかかったのです。

祝儀の五両も破格ですが、内金まで出してくれるからにはよほどの大店の女房なのでしょう。亭主を亡くした後家かもしれません。おいらにもとうとうツキがまわってきた。夜明け島はもう有頂天だったのです。

まずは前祝い。夜明け島はさっそく近くの居酒屋へ出かけました。

手紙を投げいれたのはどんな女だったのか。隣近所に訊いてみたのですが、女を見かけた者はいませんでした。

二十一日の八つ半、注文どおり夜明け島は万世橋の南詰めで一人相撲を演じたのです。

 

大店の女主人はどこで見ているのか。見物の衆に目をくばりながら夜明け島定五郎は阿武松や稲妻など人気力士の所作を演じてみせました。

だが、それらしい女は見当たりません。三つの取り組みを演じ終えても、どこからも声はかからないのです。

騙されたようです。五両の祝儀はカラ手形でした。

がっかりして夜明け島はそこを引きあげ、近所のなじみの居酒屋へヤケ酒を飲みにゆきました。

世の中は甘くないのです。うまい話などざらにあるわけがありません。それにしても手紙の主はなぜこんなことをやったのでしょう。からかったにしては手が込みすぎています。

見当もつかないまま夜明け島は今日まですごしたということです。

「――ほんとうでございます。申しげたことに嘘偽りはございません。ようやくおぼろげにわけがわかってまいりました。あっしは知らぬまに人さらいの片棒をかつがされたってことで」

「まあそんなところだ。しかし、おまえの話のおかげでかすかに目星がついてきたよ。賊の一味には女がまじっている。というより、女がこの一件の主役かもしれぬ。七つの子供なら女にもたやすく殺せるからな」

大二郎と亀蔵は首をひねる夜明け島と別れて大和町へもどりました。

三河屋には通夜の客があつまっていました。親族と近所の者がほとんどです。問屋仲間、小売り店、行商人などは明日の葬式に出てくるのでしょう。

仏は子供なのですが、もう夜なので子供の客はいませんでした。代わりに寺子屋の師匠が二人きています。一人は中年男の儒者、もう一人はひきしまった、賢(かしこ)そうな顔立ちの女師匠です。ともに手習いとそろばんを教えているということです。

客たちは棺のふたをあけさせて仏とお別れの対面をしました。

「なんて酷(むご)いことを。この子がなにをしたっていうの。賊が憎い。殺してやりたい」

女師匠は泣きながら賊を呪いました。

三十前後の気丈そうな女ですが、心労のせいで目が落ちくぼんでいます。仏を見て激情にかられたようです。

「お役人衆。なんとしても賊を捕らえてくだされ。こんなことが起こったら、町の人は安心して子供を寺子屋に出せなくなる」

儒者が突っかかるように大二郎にいいました。

大二郎らが美倉橋の周辺へ網を張ったので、賊が怒って種太郎を殺したと見ているのです。

やがて僧侶がきて読経がはじまりました。

与兵衛はあおざめて棺のまえにすわり、内儀のきみは種太郎の三人の姉とともに着物の袖で顔を覆いつづけていました。