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2012年9月6日

猫が鳴いている(7)

あくる日の四ツ〈午前十時〉から、三河屋の菩提寺で葬式がおこなわれました。

参列者は通夜よりもはるかに多数でした。

寺子屋の子供たちも数人の師匠につれられて読経のあと焼香しました。だが、墓地への埋葬には加わらずにみんな帰ってゆきました。

大町大二郎は葬式には出ず、大和町の自身番で町役人から三河屋の評判などをきいていました。

墓地へ向かう葬列が三河屋を出立してから、亀蔵が風呂敷包みをかかえて自身番へやってきたのです。

奥の板の間で亀蔵が包みをひらくと、数冊の芳名帳が出てきました。

三河屋の葬式に出た人々の名と住所が記してあります。亀蔵は受付から借りてきたのです。

大二郎は三河屋の裏庭に投げこまれた脅しの手紙をとりだして、芳名帳をひらき、参列者の筆跡と比べてみました。

賊が三河屋となにかつながりのある者なら、なに食わぬ顔で葬式に参列しているかもしれない。

賊の脅しの手紙の文字はどれも不自然にねじ曲がっています。筆跡をかくすため利き腕でないほうの手で書いたにちがいありません。

だが、いくら細工をしても、いくつかの文字に書き手のくせがあらわれるものです。芳名帳に書かれた文字のなかに、脅しの手紙と共通のくせをもった文字がないか、大二郎はさがしました。

「大和町一丁目 桝屋市兵衛」

「岩本町播磨屋善右衛門借家 左官半蔵」

「皆川町瓦屋蔵支配 石灰屋清七」

ほとんどの者が和様の筆づかいで住所と名前を書いています。

「町」という字に大二郎は手掛かりを見つけだしました。

脅迫の手紙に二つあった「町」には一つの特徴がありました。[町]という字を田と丁に分けて書いているのです。

ふつうは〈田〉の中央の横線が右にのびて〈丁〉の横線になります。横線を一本で済ませるのです。

ところが脅迫の手紙の{町}は「田」と「丁」を別に書いていました。「田」のなかの横線が「丁」の横線のわずか上に位置しています。几帳面な人物がこんな書き方をするのです。

手紙の「町」のもう一つのくせは、「丁」の字の底の撥ねがないことでした。

「丁」の底部は左上に小さく撥ねるのがふつうなのですが、書き手は筆先でかるく押しただけで、縦線を棒状に終えています。気の短い人物がこんな書き方をするものです。

二つの特徴のある「町」を書いた者はいないか丹念に大二郎は芳名帳を検分してゆきました。

葬式の参列者は二百二十四人でした。うち二つの特徴をもつ「町」の字を書いたのは三人です。

うち二人は小間物の行商人でした。調べてみると、二人とも種太郎がつれ去られた時刻には三河屋へ仕入れにきていました。二人とも潔白なのです。

河野初枝という女が残りの一人でした。

「旅籠町の寺子屋の女師匠でございます。種太郎に手習いとそろばんを教えておりました。独り身ですが、浮いた噂などこれっぽっちもないちゃんとした女でございます」

町役人に教わって、大二郎は通夜の席で見かけた品の良い女師匠を思いだしました。

凶事に出会って沈みこむのはむりもないが、あの女は尋常でなくやつれていたのです。

「女師匠が賊の一味なんですかい。すると夜明け島に依頼の手紙をとどけたのも――」

「いや、書いた文字が一つや二つ脅迫状に似ているだけできめつけるわけにもいくまい。それより河野初枝の身の回りを洗ってくれ。よからぬ仲間の影が浮かび出るかもしれぬ」

「そうですな。五百両も吹っかけてくる荒わざは、女一人ではむりです。ちょっと行って調べてきます」

亀蔵は自身番を飛びだしていきました。

あくる日の夜、河野初枝の経歴と身辺の事情があきらかになりました。

大二郎は自宅で亀蔵から話をききました。

初枝の父は高名な儒者で、市ヶ谷の柳町で塾をひらいていました。門弟は約二百名。幕府の学問所に招かれたこともあるのですが、三年まえ、心臓の病いで他界したということです。

初枝は長女で、弟が二人います。十八のとき、学問所勤番衆の河野某〈五十俵三人扶持〉に嫁いたのですが、十年後夫を労咳で失いました。子宝にはめぐまれなかったようです。

二年まえ、初枝は河野家を出て、旅籠町の寺子屋の師匠になりました。大和町の裏長屋で独り暮らしをしています。

初枝は教え方が熱心で、しかも親切なので子供たちに慕われています。高慢なところもなく、親たちの評判も上々なのです。

器量も人並み以上なのですが、寺子屋へきて二年のあいだ、浮いた噂はまったくありませんでした。

それでも寺子屋に出入りする男のなかには、初枝の気を引こうとする者が何人かいました。三河屋の与兵衛もその一人です。が、相手にされませんでした。初枝は金儲けと女遊びにしか興味のない商人(あきんど)を見くだしていたようです。